九州文化学園高・香田勲男監督、佐世保工時代を振り返る 甲子園での活躍で、目指す道が変わっていった。巨人、近鉄で投手として…
九州文化学園高・香田勲男監督、佐世保工時代を振り返る
甲子園での活躍で、目指す道が変わっていった。巨人、近鉄で投手として活躍した香田勲男氏は、九州文化学園高の野球部監督に就任して5年目を迎えている。昨夏の長崎大会は決勝戦に進出。春夏通じて同校初の甲子園出場まであと一歩に迫った。自身の高校時代は佐世保工のエースとして、2年夏の甲子園で同校を甲子園初勝利に導くなど、3季連続で甲子園出場。一躍、プロ注目の存在となった。
「私は元々、体育の先生になりたかったんです。日体大OBの得永祥男監督を頼って、日体大に行けるかもしれないと思って佐世保工に行ったんです。野球を頑張れば『推薦をもらえるし大学に行けるよ』と言われていました。『高校野球を頑張ってプロに行くぞ』という感じではなく、甲子園に出れば特待生の話があるかもしれないという感覚でした」
入学直前の1981年春のセンバツに佐世保工は出場。自身も甲子園出場への希望に胸を膨らませていたが「1年生の時は私が投げて、長崎大会の1回戦で負けたんです。あれは先輩方に申し訳なかった」と振り返る。
そこから必死に練習に取り組み、迎えた2年夏はエースとしてけん引。長崎商との決勝は延長10回、4-3でサヨナラ勝ちした。投げては完投し、サヨナラのホームを踏んだ香田氏は、自身にとって初となる甲子園を前に期するものがあった。
長崎大会中の7月23日夜、長崎市内を中心に集中豪雨に見舞われたのである。死者・行方不明者299人を出した長崎大水害。県内は大混乱に陥り、県民は大きなショックを受ける中、「長崎県のために頑張らなきゃいけないという思いでした」と当時を思い起こした。
東海大山形との1回戦は8回まで無失点の力投。完封こそ逃したものの、1失点完投で佐世保工の甲子園初勝利に貢献した。「初めて甲子園で佐世保工の校歌を歌って、皆さんに喜んでもらいました」。上々の甲子園デビューを果たすと、中京(愛知)との2回戦は3失点完投。打線が振るわず0-3で敗れたものの、大きなインパクトを残した。
教員かプロか…「家族はみんなファン」の巨人が2位指名
3年生で出場した1983年春のセンバツは、星林(和歌山)との1回戦、報徳学園(兵庫)との2回戦を連続完封してベスト8に進出。夏の長崎大会は、五島との決勝戦でノーヒットノーランを達成して3季連続で甲子園出場を決めた。甲子園では黒沢尻工(岩手)との1回戦で完封勝利。横浜商(神奈川)との2回戦に敗れたものの、3度出場した甲子園で通算4勝3完封を挙げ、プロのスカウトからも注目される存在となった。
甲子園のヒーローとなり、地元を沸かせた右腕。「母は『大学に行って先生になりなさい』という希望を口にしていました。大学に進学するかプロに行くか悩んだ時期です」。体育の教員を目指すため、日体大の練習見学に足を運び、合宿所に宿泊。東海大からも誘いの話があったという。
迎えたドラフト会議では巨人が2位指名。野球のテレビ中継は巨人戦しかない時代であり「家族はみんな巨人ファンでした」。憧れの球団からの高評価に胸が高鳴った。
「父が『お前の好きなようにしろ』って言ってくれたんです。小さい頃は、やっぱりプロ野球選手になりたいという夢を持っている。父がそう言ってくれたので、自分の夢をかなえさせてもらいました」
教員になる夢は封印し、もう1つの夢に挑戦。「『3年たってダメだったら帰ってこい』って言ってもらっていました」。父の後押しを受けて高卒でのプロ入りを決断し、厳しい勝負の世界に飛び込んでいった。(尾辻剛 / Go Otsuji)