西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 第85回 アナトリー・トルビン 日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トッ…

西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第85回 アナトリー・トルビン

 日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。

 チャンピオンズリーグ(CL)、レアル・マドリードとの一戦で、ベンフィカのGKアナトリー・トルビンがヘディングシュートを決めてゴール。セットプレーで常にGKを相手ゴール前に上げる戦術が、この先当たり前になるかもしれません。

【奇跡のゴール】

 アナトリー・トルビンはCLで得点した5人目のGKとなった。


CLレアル・マドリード戦でヘディングシュートを決めた、ベンフィカのGKアナトリー・トルビン

 photo by Getty Images

 リーグフェーズ第8節、その瞬間はアディショナルタイムの98分。ベンフィカはFKを得て、GKトルビンはレアル・マドリードの守るゴール前へ。そしてクロスボールを見事なヘディングで叩き込んだ。この得点直後に試合は終了。4-2でベンフィカが勝利した。

 GKの得点もさることながら、この1点でベンフィカはプレーオフに滑り込めたので、まさに値千金のゴールだったわけだ。3-2でリードしている状況でチームメートやジョゼ・モウリーニョ監督から「上がれ!」と促されていたトルビン本人は状況をよく理解していなかったという。とりあえず上がりゴールを決めたあと、それが奇跡的な一撃だったと知ったそうだ。

 PKやFKからGKが直接得点することはある。サンパウロで活躍したGKロジェリオ・セニは通算131ゴール、ストライカーでもこんなにとれる選手は多くない。キックの名手でPK、FKのスペシャリストだった。

 だが、セニのようなケースを除けばGKの得点はかなり珍しい。2023年9月、ラツィオのGKイヴァン・プロヴェデルがCKからのヘディングで得点している。CLのアトレティコ・マドリード戦だ。この時もアディショナルタイム5分のゴールだった。

 GKに得点機会があるとすれば、トルビンやプロヴェデルのようなケースだ。どうしても1点が必要で、残り時間はわずか。さらにCKかFKを得たという状況が重なる場合である。

 ただ、残り時間わずかのセットプレーで、GKが攻撃参加すること自体はそんなに珍しくなくなった。さすがに得点はめったにないけれども、CKやFKでGKがゴール前まで行くシーンは普通に目にするようになっている。

 GKはチームで最も背が高い場合が多い。トルビンも199㎝の長身だ。GKはハイクロス処理のトレーニングを嫌というほどやっているわけで、ボールの軌道や落下点を予測する能力は極めて高い。クロスボールがぴたりと合えば、競り勝てる可能性はかなりある。

 もしかしたら、残り時間わずかという状況でなくても、CKやFKでGKを活用すればもっと得点は生まれるのかもしれない。

【セットプレーでの常時GK活用】

 トルビンのケースでは、相手のレアル・マドリードがアディショナルタイム2分と6分にラウール・アセンシオ、ロドリゴが退場していて9人になっていた影響もあっただろう。GKが上がっているくらいだから、ベンフィカの長身選手はもれなくゴール前にいたはず。そこへトルビンが来たことで、レアル・マドリードのマークに混乱が生じていた。

 トルビンの奇跡のゴールにいくつかの条件が重なっていたのは間違いない。しかし、この偶然を必然に変えることもできるのではないだろうか。

 セットプレーで常にGKを相手ゴール前に上げた場合、どのくらい得点は増えるのか。

 一方、GKを上げるならクリアされて逆襲されるリスクも考えなければならない。ただ、GKの得点と同じくらいに、GKがゴールを離れたための失点もあまり目にしない。GKが上がることも、それによって逆襲されることも、サンプル数が少なすぎてメリット、デメリットの計算ができないのが現状だろう。

 ただ、自陣深くからのカウンターでがら空きのゴールにシュートを決めるのはそう簡単ではない気がする。ゴールが空いているのはわかっているのだから、守備側はシュートされる前にファウルで止めるだろう。また、あまりに遠くから狙っても入らないのではないか。

 確かにGKの得点は今のところあまりにも少ない。たぶん1%もないと思う。ただ、試行回数が増えれば意外と得点は入りそうな気もするのだ。

 前記のとおりGKは長身である場合がほとんどで、ボールの軌道を読む能力も高い。現状で空中戦のエースは多くのチームでCBだろう。しかし、そこにGKが加わることで守備側の空中戦のエースはGKをマークする可能性が高くなり、攻撃側のCBには二番手をあてることになる。そうするとGKが直接ヘディングしなくても、得点の可能性は増すはずなのだ。

 GKはハイクロスに対して手を使って処理するトレーニングはするがヘディングはしないので、ヘディング技術が問題になるかもしれない。しかし、それも練習すれば簡単に解決するだろう。

 かつてGKに足下の技術は求められていなかった。1992年にいわゆる「イギータ法」が始まり、GKはバックパスを捕球できなくなった。ただ、それで急速に足下の技術が重視されたわけではなく、現在のようにGKがビルドアップに加わったのはそう昔のことではない。

 それでも現在のGKは当たり前にボールをコントロールし、パスをつなぎ、場合によってはドリブルでプレスを外している。ヘディングの技術も練習すればすぐに上達すると思われる。

 今まではリスクを重くみて、GKを相手ゴール前まで進出させるのは限られた場合だけだったが、もしかしたらメリットはデメリットより大きいかもしれないのだ。

【拡張するGKの役割】

 GKは最も進化したポジションである。

 試合はGKなしでは成立しない。これはルールで決まっているのでGKなしでは試合ができない。ただひとり、ペナルティエリア内で手を使うことが許されていて、ほかの選手たちとは異なるジャージを着用しなければならない。

 GKが退場処分などでフィールドにいられなくなっても、必ずGKは起用しなければならず、交代枠が残っているならフィールドプレーヤーに代えて控えのGKが交代出場する。交代枠を使いきっているなら、フィールドプレーヤーの誰かがGK用のジャージに着替えてGKになる。

 GKはサッカーに不可欠で、GKがいなければルール上サッカーではないわけだ。極めて特殊な存在であるGKは、それゆえに進化の度合いも大きくなった。

 最初は高いディフェンスラインの裏をカバーする「スイーパー」として。クリアするだけでなく相手FWにタックルし、ヘディングで弾き、さらに味方へパスをつなぐことが求められた。GKは専門領域を外れ、どんどんフィールドプレーヤー化したわけだ。

 現在では自陣ビルドアップで数的優位を保つうえで、GKは決定的な役割を果たすようになっている。もはや11人目のフィールドプレーヤーだ。

 フィールドプレーヤー兼任になっていくのがGKの進化だとすれば、得点を狙うために上がることもやがて普通になるかもしれないし、ローブロックでFWまで自陣深く引かせることも当たり前になってきた今、GKは敵陣まで進出して味方CBをより相手ゴールに近づける役割を果たすようになるかもしれない。

 かつてはGKがパスワークの軸になることなど誰も考えていなかった。GKの役割拡大はまだ続いても不思議ではない。

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