元広島・紀藤氏が苦しんだ14年目「肘に水が溜まった」 これまでの無理が……。元広島エース右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフ…
元広島・紀藤氏が苦しんだ14年目「肘に水が溜まった」
これまでの無理が……。元広島エース右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ11年目の1994年から3年連続2桁勝利をマークしてチームを支えたが、14年目の1997年は一転して1勝に終わった。「肘に水が溜まったりしだしたんですよねぇ」。それでも必死に投げた。2軍調整を経てシーズン終盤には先発から中継ぎに回されたが、気持ちを切らすことはなかった。そんな時に敵地・神宮球場で、忘れられない出来事があったという。
1994年に先発転向で16勝をマークし、赤ヘルの主戦投手になった紀藤氏は1995年に10勝、1996年には12勝と数字を残した。だが、1997年は17登板、1勝5敗、防御率5.66に終わった。開幕3戦目の4月8日のヤクルト戦(神宮)に先発したが、2回1失点で降板して登録を抹消された。「投げている途中にどこかを痛めたんでしょうけど、あまり記憶がないんですよね。まぁ、いろんなところを痛めていた感じだったのでね」。
前年(1996年)終盤に腰痛と右肘痛を抱えながら、先発として投げ続けたが、そんな無理もたたったのだろう。「もう32歳になる年ですからね。ちょっと体がしんどいという時期にはなってきていましたよね」。2軍調整後、5月中旬に1軍復帰。5月22日のヤクルト戦(神宮)では吉井理人投手との投げ合いを制して、完封でシーズン1勝目を挙げた。「お互いが150キロを出したりして2-0で勝ったんですけどね」。それがこの年の唯一の白星になった。
以降、主に中6日間隔で先発起用されたが、勝ち星をつかめず、6月18日の阪神戦(甲子園)で3回1/3、7失点で4敗目を喫したところで再び登録を抹消された。「その時は肘に水が溜まったりし始めたんですよね。触ったらグチュグチュいったりして……。注射で抜いたりしていましたけど、そんな感じだったんでねぇ。知らない人からしたら、完封もしていたのに何で急におかしくなったんだって思ったでしょうけどね」。
この時の2軍調整は長引き、1軍に戻ったのは9月に入ってからだった。それも先発ではなくリリーフでの復帰で、負け展開での登板が中心だった。それでも黙々と投げた。「よく我慢して投げているなぁ、みたいな目で見られることはありましたよ。でもね、自分にはそんな大したプライドなんかなかったですもん(笑)。逆にそうやって使ってくれるだけ、ありがたいと思った。ま
敵地・神宮で受けた大歓声「ああ、やってきてよかったなぁ」
当時は、同い年で、同じく先発で実績がある加藤伸一投手と2人でブルペン待機することが多かった。「2人で調整しながら、ずっとあそこが悪い、ここが悪いとか言われながら2軍で投げたりもした。なかなか勝てない時期があって(首脳陣の)信頼を失って、2人とも中継ぎをやれって言われて……。でも負け試合の登板でも、自分としたら、いいアピールの場所。やったろうじゃないかって感じでした。伸一もそう考えていたと思いますよ」。
そんな中で大きな励みになったのがファンからの“後押し”だったという。「(1軍復帰して)神宮球場でね、自分がブルペンで投げ始めると、神宮のカープファンの人たちがものすごく拍手してくれたんですよ。それが物凄くうれしくてねぇ。“ピッチャー紀藤”って言われた時には、今まで聞いたこともない声援を送ってくれたんですよ。抑えてベンチに戻って来た時も大声援と拍手。ああ、やってきてよかったなぁと思いました。すごくありがたかった。あれは一生忘れないですね」。
紀藤氏はプロ15年目の1998年に再び先発ローテーション入りを果たす。それは恩師である三村敏之監督の指揮官としてのラストイヤーでもあった。結果は3勝8敗と振るわず、9・10月の終盤は1軍登板なしに終わったものの、前年のことを思えば前進のはずだった。だが、状況はその後も……。持ち前の反骨精神は健在だったが、試練はまだまだ続いていった。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)