G1・22勝(重賞70勝)を含む1119勝を挙げる国枝栄調教師(70)=美浦=が、3月3日に定年を迎える。牝馬3冠に…
G1・22勝(重賞70勝)を含む1119勝を挙げる国枝栄調教師(70)=美浦=が、3月3日に定年を迎える。牝馬3冠に輝いたアパパネとアーモンドアイなど、多くの名馬を送り出してきた名伯楽のホースマン人生もいよいよ最終コーナー。国枝師と開業当初から厩舎を支えてきた鈴木勝美助手(59)が、これまでの道のりを対談で振り返る。スポーツ報知では定年が迫った調教師にスポットを当てた特集記事を随時、掲載する。(取材構成・坂本 達洋)
―1990年に開業した当時の厩舎の雰囲気はいかがでしたか?
国枝調教師(以下、国)「誰でもそうだろうけど、新規開業して『さあ、いくぞ!』という感じでやっていたからね。いろんなものに対して細かくやって、考えたりしていたね」
鈴木助手(以下、鈴)「最初は勢司(和浩現調教師)さんも助手でいて、3人で力を合わせてという感じでやっていましたね。先生も若かかったし、今よりちゃんとしていました(笑)」
―お2人は同じ美浦・山崎彰義厩舎に所属していた時にご縁が?
国「もともと騎手になりたかったんだよな? だから乗るのもうまかった。開業する時にすぐに声をかけて、勢司が番頭という感じで、勝美には主に調教を任せるという感じでね」
鈴「その時から親しくしてもらっていました。でも、厳しかったですよ。僕が厩務員で、先生が助手という関係でしたが、俺たちがだらしなかったから余計に」
国「アハハハ。みんな若かったからね。テキ(山崎彰義調教師)も一生懸命だったし、やっぱり真面目な方だったもんなあ。だから、今から思うといい厩舎だった」
鈴「先生ご自身も、だいぶ変わりましたよ。5年以内には成績を出したいというプレッシャーもあっただろうし、何事もきちっと狙ってやっていました。そのうちスタッフにどんどん任せてくれるようになったので、昔とは違いますね」
―早く結果を出したい気持ちが強かった?
国「その頃、やっぱり藤沢(和雄元調教師)さんの影響力が、すごくあついて行かなきゃったんだよ。何よりすごいパワーだった。フジさんは新しいことをどんどんやっていって、そういうのを見ていて、というのはあった」
鈴「藤沢和雄厩舎ができてから、トレセンが変わりましたよね?」
国「うん、変わった変わった。フジさんは伝統的な英国流で、『まず馬を良くしよう』という扱いの仕方でおしすすめていった。そのエネルギーが違ったし、あれだけの人はそういない」
鈴「馬を馬房につなぐところから、馬への接し方が昔ながらの日本のやり方と違いましたね。調教も昔は角馬場でハッキングなんてしていなかったですからね。日本人の発想とは違うニューマーケット仕込みというか。トレセン自体が変革の時だったんじゃないかと思います」
◆国枝 栄(くにえだ・さかえ)1955年4月14日生まれ。岐阜県出身。70歳。71年の日本ダービー馬ヒカルイマイをきっかけに競馬に興味を持ち、東京農工大農学部獣医学科卒業後、78年から美浦・山崎彰義厩舎で調教助手。89年に調教師免許を取得して、90年に開業。JRA通算9493戦1119勝。JRA・G1・22勝を含む重賞70勝。著書に「覚悟の競馬論」がある。趣味はゴルフとボウリング。
◆鈴木 勝美(すずき・かつみ)1967年1月26日、群馬県出身。59歳。85年4月に美浦・矢野幸夫厩舎の厩務員になり、山崎彰義厩舎、八木沢勝美厩舎を経て、90年9月から国枝厩舎の調教助手に。忘れられない思い出の一頭は、厩舎に重賞、G1初勝利をもたらしたブラックホーク。