元広島・紀藤氏が悔やむ巨人戦での登板 札幌でまさかの悪夢が……。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役…
元広島・紀藤氏が悔やむ巨人戦での登板
札幌でまさかの悪夢が……。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)のプロ13年目、1996年は、好スタートを切りながら悔しい結果に終わった。その年の広島は5、6月と首位を快走していたが、7月中旬あたりから勢いが徐々に低下。最大11.5ゲーム差をつけていた長嶋茂雄監督率いる巨人に大逆転Vのメークドラマを“完成”させてしまった。紀藤氏はその“起点”といわれる試合で敗戦投手。「責任を感じています」と唇を噛んだ。
1996年の紀藤氏は開幕から安定感があった。4月は2勝2敗ながら防御率は2.83。5月に入ってからは絶好調モードとなり、4試合に先発し、1完封を含む2完投の4勝0敗、防御率1.71で月間MVPを受賞した。5月1日のヤクルト戦(呉)での3勝目から、7月3日の横浜戦(広島)での9勝目まで7連勝。エース右腕の活躍もあって、広島は首位に立ち、2位以下との差を広げ始めた。チームは完全に上げ潮ムードのはずだった。
しかし、そこから一転して流れが悪くなった。広島は7月を6勝10敗と負け越し、8月は13勝13敗の5割。逆に、6月終了時には広島に11ゲーム差の4位に低迷していた巨人が、7月13勝5敗、8月19勝7敗と猛スパート。8月末には首位の座を奪われてしまい、長嶋監督が口にした「メークドラマ」という名の大逆転Vをやられてしまった。最終的に広島は中日にも抜かれて3位でのフィニッシュだった。
まさに優勝の大チャンスを逃した無念のシーズンだったが、紀藤氏が悔やむのは、先発して敗戦投手になった7月9日の巨人戦(札幌円山)だ。「イレギュラーしてヒットになったり、玉突きみたいなのがヒットになったりとかもあったんですけどね」。悪夢は1-0の2回裏2死から起きた。巨人は7番・後藤孝志内野手から9者連続安打で一挙7点。紀藤氏は2番・川相昌弘内野手に満塁弾を浴びるなど、そのうちの8安打を許して降板した。
赤ヘル打線も緒方孝市外野手の3ランなどで追いすがったが、結局8-10で敗れた。広島はその試合前まで9連勝中、紀藤氏も自身7連勝中と最高の状態で臨んだ巨人戦で起きた“まさか”。チームの連勝も紀藤氏の連勝もストップしたが、その時はまだ、たかが1敗だったはずだ。しかし、結果的にここを起点に、広島と巨人のチームの流れが変化したことから「メークドラマ」のきっかけと言われることが多い。
「そうなんですよねぇ……。だから、そこの責任はすごく感じますよ。(自身7連勝するなど)オールスターまでにバーッと勝っていったのは自分の中では誇りなんですけど、結局、そこから優勝を逃がしたってことで……」と紀藤氏は悔しそうに話す。とはいえ、その年の前半戦終了時は9勝3敗、防御率3.08。監督推薦で出場した球宴には福岡ドームで行われた第1戦に先発した。「三村監督に先発を告げられた時はびっくりしましたけどね」。
球宴でイチローに先頭打者アーチ「真ん中に投げたらホームラン」
全セを指揮するヤクルト・野村克也監督からの指名だったという。「三村監督に『ノムさんがお前を投げさせると言っているから』と言われました。確かにヤクルトを結構抑えていたんで、そのイメージもあったんでしょうね。ありがたいお話だし『ああ、そうなんですか』と言いました」。結果は3回3失点。初回に全パ1番打者のオリックス・イチロー外野手に先頭打者アーチを浴びるなど、いきなり3点を失った。
「あの時は(全セ捕手の広島)西山(秀二)が『紀藤さん、(イチローは)絶対初球を打ってこないから、真ん中で行きましょうっていうから、真ん中に投げたらホームランですよ。『打ってきたやないか!』って西山に言ったのも覚えています。まぁでもシーズンの試合ではないですからね。ほとんどストレートしか投げていませんから」と笑いながら振り返ったが、後半戦に入ってからは、好調をキープできなかった。
8月3日のヤクルト戦(広島)を8回1失点に抑え、3年連続2桁の10勝目をマークするなど、8月は3勝したが、その年の白星はそこまで。8月21日の中日戦(ナゴヤ球場)で2失点完投の12勝目を挙げたのを最後に、6登板連続で勝てなかった。7連勝した前半戦の逆パターンにはまってしまったが、実はコンディション不良に苦しんでいた。「腰と肘が駄目だったんですよね。投げていても全然ボールが行かなくなったんです」。
あまりにも悪い状態に陥り、2軍落ちを申し出たこともあったという。「こちらからお願いして『1回(2軍に)落としてください』って言ったんですけど、(首脳陣に)『駄目だ、最後までやりきれ!』って話をされたんですよ」。それがエースとしての責任ということだろう。「(先発して)3イニングごとに痛み止めの薬を飲んで投げたりしていました。飲んだからって痛みが消えるわけではないんですけどね」。イニング間は横になっていたそうだ。
「座っていたら腰が痛いんでね。でも投げ続けましたよ。(1993年7月20日に脳腫瘍で亡くなった炎のストッパー)津田(恒実)さんのことを考えれば、これくらいっていうのもありましたしね。でも苦しかったです。勝てなくて、ちょっと鬱になりかけましたね。もう駄目だぁって感じにもなってきて……」。紀藤氏が不調モードを抜け出せずに、チームもV逸。前半と後半では天国と地獄ほどの差があるシーズンになった。
最終成績は26登板で12勝7敗、防御率4.27。前半戦の状態を保てれば、勝ち星ももっと増やせたし、優勝の可能性も十二分にあっただけに、終盤の腰痛、右肘痛は大誤算だった。そして、追い打ちをかけられるように、メークドラマの引き金と言われた巨人戦の悪夢。若手時代からお世話になった三村監督を胴上げできなかった悔しさが募る。「やっぱり、ものすごく責任を感じますよね」。紀藤氏は心底、申し訳なさそうに、またその言葉を口にした。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)