2026年に入り、早くも1か月が経とうとしている。見方を変えると、ワールドカップ開催も日々近づいているのだ。蹴球放浪記家…

2026年に入り、早くも1か月が経とうとしている。見方を変えると、ワールドカップ開催も日々近づいているのだ。蹴球放浪記家・後藤健生も、ワールドカップ取材の綿密な計画を進めている。そのためにはまず、サッカー日本代表の大会期間中の「ホーム」となる地域を、よく知らなければならない。

■ケネディ大統領の夢

 さて、ケネディ大統領は就任時に43歳という若さで、日本でも非常に人気が高く、その後のニュースも逐一伝えられました。

 ケネディ大統領は、就任演説などで「夢」を語りました。その一つが、1960年代のうちに人類を月面に送り込むというものでした。

 当時、経済力や軍事力で世界を二分していたのがアメリカとソビエト連邦でした。

 そのソ連が初の人工衛星(スプートニク)を打ち上げたのが1957年。さらに、ソ連は1961年4月にはユーリ・ガガーリン少佐を乗せたヴォストーク1号の打ち上げに成功。アメリカは宇宙開発競争で遅れを取っていました。ミサイル技術にも直結するロケット開発競争に負けることは安全保障上の問題にも関わります。

 その遅れを取り戻すために、ケネディ大統領は「月面着陸」という困難な目標を掲げたのです。

■日本に広まった「ヒューストン」

 そして、1968年12月にアポロ8号が月周回飛行に成功。1969年7月にはアポロ11号が打ち上げられ、7月20日(日本時間21日)にニール・アームストロング船長が月面に降り立ったのです。

 もう、この頃には衛星中継もすっかり実用化されており、アポロ・ミッションの模様は全世界に同時中継され、もう17歳になっていた僕もテレビの前にくぎ付けとなったのです。

 そのアポロ計画の拠点となったのが、ヒューストンでした。

 アポロ11号が着陸する時も、飛行士はアメリカ航空宇宙局(NASA)のジョンソン宇宙センターに設けられた管制センターと常に交信していました。同時通訳された飛行士と管制センターとのやり取りでも、常に「こちらヒューストン」という呼びかけが行われており、「ヒューストン」という地名は日本でもすっかり有名になったというわけです。

■未来は誰にも見通せない

 僕は、この頃、「いずれ21世紀になる頃には宇宙旅行も実用化されるだろう。そうなったら、自分も月や火星に行けるかもしれない(でも、金持ちしか行けないだろうなぁ)」と本気で思っていましたが、アポロ計画は17号までで終了。その後の有人宇宙飛行は低軌道のスペースシャトルや国際宇宙ステーションだけになってしまいました。

 それから半世紀以上が経過して、早ければ2026年2月には4人の宇宙飛行士を乗せて月を周回するアルテミス2号が打ち上げられ、順調に進めば来年には月着陸も実現することになっています。

 僕は、これまでテキサス州には一度も行ったことがありませんでしたし、将来、ここを訪れる機会がやってくるとは思ってもいませんでした。

 しかし、アポロ11号の月面着陸から67年を迎え、再び有人の月面探査計画が動き出した2026年にテキサス州を訪れる機会が巡ってきたのです。

「教科書倉庫」も「宇宙センター」も、観光地として見学できるようです。6月には、この2か所の訪問だけは必須だな!

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