青木アリエ インタビュー前編 2025年5月の静岡国際陸上競技大会で400mの日本記録を超える51秒71を出し、"フロレ…

青木アリエ インタビュー前編

 2025年5月の静岡国際陸上競技大会で400mの日本記録を超える51秒71を出し、"フロレス・アリエ"の名前は多くの人が知ることとなった。

 その翌月には帰化申請がとおり、"青木アリエ"となった6月以降は、世界陸上東京大会の混合マイルリレーメンバーにも選出された。しかし、大会初日の9月13日に行なわれた混合リレー予選の出場オーダーに彼女の名前はなかった。

 日本最高記録、帰化、世界陸上への選出、落選――。多くの出来事が起きた2025年をあらためて振り返ってもらった。
 

笑顔と涙で溢れた2025年を振り返った青木アリエ

 photo by Naozumi Tatematsu

【予想以上のプレッシャー】

 青木アリエが最初に注目されたのは、2024年の大学2年の時だった。5月の関東インカレで、400m54秒07の自己新記録を出して優勝し、200mも6月の日本学生個人選手権大会で日本ランキング7位相当の23秒73を出した。

 7月には、400mの自己記録を53秒28まで伸ばすと、9月の日本インカレで日本ランキング2位相当の53秒03で優勝。さらに10月の国民スポーツ大会300mも優勝を果たした。世界陸上混合マイルリレーの候補基準記録も突破し、申請中の帰化が間に合えば代表入りが見えてきていた。

 3月の日体大競技会の300mでシーズンインした2025年。メインの400mは5月3日の静岡国際がシーズン初のレースとなった。

「あまり緊張することもなく、『今は、どれぐらい(のタイム)で走れるのかな』という気持ちで落ち着いていました。大会2週間前にふくらはぎの肉離れはあったのですが、それも治りつつあったので『ここから様子を見ていけたらな』という感じでした」

 レースは、バックストレートからスピードを上げると、最後の直線に入ってから外側8レーンの松本奈菜子(東邦銀行)をかわして51秒71でゴール。丹野麻美(ナチュリル/当時)が2008年に出した日本記録を0秒04上回った。まだ帰化前で日本記録にはならずペルー記録だったが、世界選手権代表入りを確実にした。

「以前は後半を頑張るという感じでしたが、100mのタイムが上がったので、前半もスピードを上げられるようになってきて、気持ちも体調も含め、すべてがベストでそろった感じでした。自分でもびっくりで、"出ちゃった"という感じでした(笑)。でも、そのあとは記録が重荷になりましたね。注目度もあがったし、あの記録を出したんだから、このあとのレースでも、それなりのタイムで走らなきゃというプレッシャーもありました」

 そう感じながらも直後の関東インカレでは、200mで追い風参考記録ながら自己ベストを大幅に上回る23秒26で優勝し、400mも風が強い悪コンディションながら2位に1秒49の差を付ける52秒82で優勝した。

 だが、大会連覇を果たした6月の日本インカレでは、サブグランドでアップ中に他の選手とぶつかって右手親指の付け根を骨折。「人生初の骨折だったので、どうしたらいいのか全然わからなかった」と、そこからは調子を落とした。

「ケガをしたのが日本選手権の2週間前だったので、そこから練習は積めませんでした。ウエイトトレーニングはしていたけど、右手があまり使えないので体のバランスが悪くなったり、気持ちの面でも動揺していました。それに加えて日本選手権直前に体調を崩して高熱で寝込んだりもして......。でもせっかく帰化もできたし、いろんな人に応援してもらっているから、どんな結果であろうと日本選手権には出ようと決めていました」

 しかし結果は、53秒31で3位。最低でも出しておきたいと考えていた52秒台には届かなかったことともに、狙っていた優勝を逃したことがショックだった。それでも世界陸上直前の8月には「海外のレースのスピード感も体験したかった」とヨーロッパ遠征で3レースを走ったが、調子を取り戻すまでには至らなかった。

【折れかけた心を取り戻すまで】

 そして迎えた世界陸上東京大会。混合マイルリレーのメンバー発表があったのは、レースの3日前だった。合宿をしていたナショナルトレーニングセンターのひと部屋に集合して知らされたが、名前は呼ばれず。

「その場では泣きませんでしたけど、部屋に戻ってからは大号泣で、泣きっぱなしでした。

 翌日は部屋から出たくないくらい落ち込んでいたんですが、『子どものわがままみたいになるのもアレかな』と、練習には顔をちゃんと出していました。出場するメンバーをサポートしなければいけないし、チームとしてみんなを応援しなければいけない立場だったので、『あと3日間耐えるんだ。耐えられたら気持ちも落ち着くだろう』と思って、ちゃんと応援もサポートもしていましたが、やっぱり心のなかは落ち込んだままでした」

 開催国枠の出場となっていた日本は記録的に格下だったが、予選第1組では3分12秒08の日本記録で5位。第2組が終わった時点で、各組4位以下の記録上位2チームが決勝に進出できる条件のなかで、日本は3番目で予選敗退が決まった。しかしその後、第2組で2位だったケニアがレーン侵害で失格となり、日本は繰り上がりの2番目で決勝進出を果たした。決勝は3分17秒53とタイムを落として8位という結果で終わった。

 チームのサポート役として会場にも帯同していた青木は、その2レースをスタンドから観戦していたという。

「走りたかったという気持ちはもちろんありました。一方で、日本代表チームとしては応援していました。応援したい気持ちと自分は走れなかった悔しさのなかで、気持的には"無"というか、何も考えられませんでした」


世界陸上後のオフ期間に少しずつ元気を取り戻した青木アリエ

 photo by Naozumi Tatematsu

 大会が終わっても、しばらくは立ち直れなかった。

「陸上をやっている意味がわからなくなってしまいました。このシーズンは世界陸上を目標に頑張ってきたというのもあったので、『もう陸上はいいかな』という感じになっていました」

 幸いだったのは、世界陸上の開催が9月だったこと。あと1カ月ほどすれば陸上部がシーズンオフに入るタイミングだった。

「1カ月間耐えればいいんだと思い、気持ちは全然入っていなかったけど、とりあえずみんなと一緒に練習に参加していました」

 日体大陸上部の決まりもプラスに働いた。

「オフの期間は毎年3年生が決められるので、私たちの代が決められたんです。今季は大会がシーズン前半に固まっていて、後半はみんな『モチベーションが持たない』と言っていて、もう1回気持ちを作り直そうということで、今までで一番長い4週間になりました。

 筋トレは好きなのでやっていましたが、陸上の道具は目に見えないところに全部隠したし、普段は部則が厳しくてネイルもダメだし、練習を考えたら学校に私服で来ることも滅多になかったので、その4週間はおしゃれをしたり、旅行にも行きました」

 その4週間の間に、折れかけていた陸上への思いにも変化があった。

「スパイクをまったく見ない日が4週間もあると、ちょっとずつ『走りたいな』という気持ちが出てきていました。それで『陸上自体は嫌いになってないな』というのを再確認できました」

>>後編「陸上を始めたころから現在までを語る」につづく

Profile
青木アリエ(あおき・ありえ)
2004年6月2日生まれ。静岡県出身。
中学生から陸上を始めて、東海大翔洋高校進学後、400mをメインに取り組み始め、徐々に記録を伸ばし、日体大3年で出場した静岡国際で日本記録を超える51秒71のタイムを出した。ペルー国籍からの帰化前だったため、日本記録にはならなかったものの、多くの注目を集めた。