白崎浩之氏は2020年にオリックスを戦力外となった 2018年7月にDeNAからオリックスへトレードで移籍した白崎浩之氏…
白崎浩之氏は2020年にオリックスを戦力外となった
2018年7月にDeNAからオリックスへトレードで移籍した白崎浩之氏(西武パフォーマンスアナリスト)は2020年オフに戦力外通告を受けた。一時は引退を考えたが、同年9月に死去した母への思いで現役続行を決断。独立リーグ・九州アジアリーグの大分B-リングスに選手兼コーチとして入団した。新設されたチームで見たのは、NPBとはまるで違う環境だった。
移籍3年目の2020年は代走と守備固めによる3試合の出場に終わりゼロ打席。オフに球団から呼び出しの連絡を受けると「さすがに何の連絡か分かりますよね(笑)」。戦力外通告を受け入れ、静かに退室した。
駒大からドラフト1位入団し8年。すでに30歳となり引退もよぎったが、気持ちを繋いだのは母の存在だった。「その年の9月に母がリンパのがんで亡くなったんです。闘病期間は1年くらいでした。ずっと応援してくれていて、僕が野球を辞めるとなったら悲しむと思ったので、もう少しユニホームを着たいと思いました。最後は1打席も立っていないし、僕が野球をしている姿を見せてあげられなかった。『頑張っているところをもう少し見守って』という気持ちでした」。
トライアウトを受験し、選手兼コーチで契約したのは九州アジアリーグの大分B-リングスだった。NPB出身者として翌2021年から発足する同リーグに協力する意味合いも強かった。当然ながら厳しい環境だったが、白崎氏は「自分が一番成長できたんじゃないかな。厳しいんですけど、みんな一生懸命、練習内容を考えるんです。僕にはその考えの“持ち合わせ”みたいのがなかったので」と振り返る。
ピッチングマシンは古いモデル、ボールも限られた数しかない。球場は「中学生のシニアチームの寸法みたいな感じでした。センターで112メートル、両翼90メートルあるかないか」。狭い球場では打球が場外へ飛び出す心配もあったが「それなら『移動式のホームベースをバックネットの近くに置いて打てばいいじゃん』って。確かにそうなんですよ。“できないからやらない”じゃなくて、考えて“どうにかやる”んですよ」。ひたむきな姿勢に感銘を受けた。もちろん、給与面でもプロとは大きく違った。
「僕はどちらかといえば招かれた立場だったので、それなりには生活ができるお給料をいただいていました。それまでの蓄えも使いながら。でも、普通に入団した選手たちは当時でマックスが月給15万円くらいで、低い人では3万円くらい。みんな、そのなかでアルバイトしながら野球をやっていました」
これまで自身が歩んできた道とはまったく違った野球の世界。「プロってどんだけ恵まれているんだろうというのを知りました。もう、自分の時間よりも彼らのためにみたいな感じで過ごした2年間でした。コーチングの面や工夫も含めた練習の引き出しなど、本当に勉強になりました」。厳しい環境で過ごした現役最後の2年間は濃密で、白崎氏に多くの発見を与えた。(湯浅大 / Dai Yuasa)