サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「歴代人口最少のワールドカップ出場国」について。
■アウェーでの直接対決
昨年11月18日火曜日夜、カリブ海の国ジャマイカの首都キングストンの中心部に位置する国立の「インデペンスパーク・スタジアム」は、はちきれんばかりの期待に満ちていた。
2026FIFAワールドカップの北中米カリブ海3次予選(最終予選)の最終日、地元ジャマイカが迎えたのはキュラソー。3勝2分け、勝ち点11で首位に立つキュラソーだったが、ジャマイカも3勝1分け1敗、勝点10。勝てば1998年以来28年ぶり2回目のワールドカップ出場を達成することができる。1962年に完成してから60年以上、やや古ぼけた競技場ながら、インデペンデンス・パークは3万5000人の観客で埋まっていた。
しかし黄色と緑のウェアをまとったジャマイカ・サポーターのまっただ中には、少数ながら青いシャツのキュラソー・サポーターたちの姿もあった。
キュラソー代表には「ワールドカップ初出場」がかかっていた。2次予選を4戦全勝で突破したキュラソーは、3次予選も粘り強く戦い、ホームではバミューダに3-2、ジャマイカに2-0、トリニダード・トバゴに1-1、アウェーではトリニダード・トバゴと0-0で引き分けたが、この最終戦の5日前にはバミューダに遠征して7-0の大勝を収め、「ジャマイカと引き分ければ初出場決定」というところまできていた。この試合に向けてサポーターを詰め込んだ2機のチャーター便がカリブ海を1000キロ渡ってキングストンに飛んだのは当然のことだった。
■追加タイムでの二転三転
試合はジャマイカがボールを支配して攻撃をかけ、時折キュラソーが鋭いカウンターアタックを繰り出すという展開。ともに絶好のチャンスがあったが、両チームのGKが水際立った守備を見せた。ジャマイカのヘディングシュートが3回にわたってポストやバーを直撃する幸運もあり、キュラソーは0-0のまま終盤を迎えた。そして後半44分、ジャマイカMFジョン・ラッセルが退場となる。数的優位に立ったキュラソー。ワールドカップ初出場の夢が大きく近づく。ところが…。
5分間と示されたアディショナルタイムに入って4分を経過したころ、ドリブルで右からペナルティーエリアに侵入したジャマイカFWドゥジュアン・リチャーズにキュラソーMFジェレミー・アントニッセがタックル。ボールはゴールラインを割ったが、エルサルバドルのイバン・バルトン主審(2022年ワールドカップの日本×ドイツ戦の主審。2025年には交流プログラムで来日し、Jリーグで4試合の主審を務めた)は迷わずペナルティースポットを示した。ジャマイカが劇的な勝利でワールドカップ出場か。だが…。
VARアレン・チャップマン(アメリカ)が主審にオンフィールドレビューを勧め、映像を見たバルトン主審はアントニッセの足が先にボールに触れていることを確認し、PKの判定を取り消したのである。アディショナルタイムは10分間以上続き、時計で10分38秒、ジャマイカの放り込みをキュラソーがクリアしたところでバルトン主審は終了の笛を吹いた。「人口18万5000人」のキュラソーが、ワールドカップ出場を決定した瞬間だった。
■世界遺産を持つ小国
キュラソーは自治権を持ち、独自の政府を持っているが、オランダ王国の一部という立場にある。防衛と外交はオランダ王国に任されている。南米大陸のベネズエラからわずか北に70キロの洋上に浮かぶキュラソー島と、その南東にある無人島クラインキュラソーと合わせて面積444平方キロ、人口18万5000人(2025年推計)という小国である。
1499年にスペイン人がこの島を「発見」、1634年にオランダが占領、1642年にオランダ西インド会社が管理するようになり、以後、オランダの植民地時代が続く。ユダヤ人も住み着き、18世紀には西半球で現存する最も古いシナゴーグ(ユダヤ教会)が建設された。20世紀に入るとベネズエラ産の原油の製油所がつくられ、水深の深い良港を持つキュラソーはオランダにとって重要な場所となる。
1954年にキュラソーは他の5つの島とともに自治権を持つ「オランダ領アンティル」としてまとめられ、キュラソー島のウィレムスタットはその首都となる。そして1986年にアルバが離脱、2010年には「オランダ領アンティル」が解体され、キュラソーは単独でオランダ王国の中にある独自の政府を持つ地域となった。オランダ植民地時代の美しい街並みが残る首都ウィレムスタットは、世界遺産に登録され、観光客を惹きつけている。