4年目は日本選手権1500m2位などトラックでも好成績を残した早大・山口智規 photo by 長田洋平/アフロスポーツ…

4年目は日本選手権1500m2位などトラックでも好成績を残した早大・山口智規
photo by 長田洋平/アフロスポーツ
後編:早大のエース・山口智規が駆け抜けた4年間
早稲田大のエース・山口智規(4年)は最後の箱根駅伝で3年連続出走となった2区を日本人トップの区間4位、早大記録を大幅に更新する激走を見せた。トラックを主軸に駅伝との両立を追求し続けてきた大学での競技生活は、2年時から存在感を発揮。箱根では渡辺康幸が持つ2区の早大記録を更新する活躍を見せた。
その手応えを糧に3年目に突入したのだが----。
前編〉〉〉山口智規が見せた意地の2区の快走と追求し続けた「トラックと駅伝」の両立
【「欲張ってしまった」大学3年目】
しかし、3年目に思わぬ落とし穴があった。
「2年目にうまくいったので、3年目は5000mで13分20秒ぐらいまでいきたいと思っていましたし、箱根も2区で65分台を出せればなと思っていました。その両方をと思って欲張ってしまいました。
2区にとらわれすぎていたところもあって、いざトラックでスピードを出そうと思った時に、なかなか出力が上がりませんでした。自分の体とか感覚にあまり耳を傾けられていなかったというか、そこが雑だったなと思います」
大学3年目のシーズンを迎える春先は、ニューヨークシティハーフマラソン、世界クロスカントリー選手権、日本選手権10000mとビッグレースが続いた。前年は1500mでシーズンインして飛躍を遂げたが、この年は「そういうプランニングすらできなかった」と振り返る。
記録を追い求めて、前半戦はレースにも数多く出場した。
「狙っているレースで結果を出すのに、何カ月も準備する時間が必要ということを理解していませんでした。まったく自分らしいシーズンの過ごし方ができなかった」
力のある選手だけにところどころで存在感を示しはしたものの、納得のいく走りはなかなかできずにいた。特に駅伝では、出雲駅伝が1区12位、全日本大学駅伝が2区5位、箱根駅伝が2区12位と、うまく走れなかった(もっとも全日本は18位から5位まで順位を「13」も押し上げる活躍だったが、自身にとっては失敗レースだった)。
「3年目の駅伝は3つとも納得がいかなかった。それが1シーズンすべてを見直すきっかけになりました。失敗したレースがたくさんあったから4年目に飛躍ができたのかなと思います」
山口は、ターニングポイントに、うまくいかなかった3年目を挙げる。転んでもただでは起き上がらなかったのだ。
そして、4年目。2月〜3月のメルボルン遠征から帰ってきたばかりのシーズン当初はなかなかエンジンがかからなかったが、6月以降、一気にその才能が花開く。
日本インカレは1500mと5000mに出場し、日本人で初めてこの2種目で二冠を達成。7月の日本選手権は1500mに出場し、日本人学生歴代3位(日本学生歴代5位)となる3分38秒16の好記録をマークして2位に入った。その翌週のホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会では、5000mで実業団の外国人勢をも破って1着となり、日本人学生歴代3位(日本学生歴代7位)となる13分16秒56 で走った。このように、3年目の不振を吹き飛ばすような活躍を続けた。
【「井の中の蛙では、目指すところも明確にならない」】
駅伝でも、出雲は2区で初の区間賞を獲得し9人抜きの活躍を見せた。全日本は、急遽長距離区間に回ったため、納得のいくパフォーマンスとはいかなかったが、それでも7区4位にまとめた。
そして、箱根駅伝2区での活躍だ。1500mから20km超まで、今シーズンは高いレベルで結果を残した。
「レース前にどういうコンディションであれば自分は走れるのか。そのためには、どんな練習が必要なのか。それが4年目にしてやっとわかってきました」
紆余曲折がありながらも、ようやく自分のスタイルを確立させつつあった。
強豪校の選手は月間走行距離が1000kmを超えることも珍しくはない時代にあって、山口の場合、この1年間で最も走り込んだ月でも月間700km程度だったという。それも、箱根前の12月だけだ。
「めちゃめちゃ頑張って700kmだったので、僕が千何百kmも走ったら死んじゃいます。
でも、僕のこのシーズンの取り組みに、もっと価値を見出すべきですよ。だって、7月に日本選手権の1500mで準優勝して、その半年後に箱根2区で1時間5分台で走っているんですから。両立できることを示すつもりでやってきて、ある程度結果を残せてよかったなと思いますけど、なかなか俺の2区は評価されていないな、と......(笑)。そこに価値を見出していかないと、箱根駅伝が悪になる一方ですよ」
山口は自虐を交えながらも、こう語気を強めた。
早大が優勝していればまた事情は変わっていたかもしれないが、確かに、今回の箱根駅伝では5区の黒田朝日(青学大4年)の爆走等があって、山口の活躍は少し霞んでしまったのも事実だ。
とはいえ、山口が自身の主張をより強固なものにするには、むしろこれからが大事だろう。早大卒業後は、SGホールディングスに所属しつつも、昨年遠征したメルボルン・トラッククラブを練習の拠点とすることを希望している。
「メルボルンでは一番弱かったんで、自分が。(5000m)12分台の選手とまだ力の差があると感じました。日本には12分台のノウハウがないので未知というのもありますが、もう一回オーストラリアに行って、またスタートを切って自分の力を試したいです。外に出ることですごく視野が広がるのは間違いないですし、井の中の蛙では、目指すところも明確にならないですから」
自身の選択が厳しい道であることは重々承知している。それでも、強くなるために、その道を進んでいく。
今はまだ達せずにいるが、山口にとって5000m12分台は通過点に過ぎない。まず目指すは2年後のロサンゼルス五輪。その舞台に立つだけでなく、世界と堂々と戦うつもりだ。志は高い。