◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第29回後編 葛西裕一 葛西のボクシングは米国修業を経てモデル…
◆報知プレミアムボクシング ▽後楽園ホールのヒーローたち 第29回後編 葛西裕一
葛西のボクシングは米国修業を経てモデルチェンジした。ジャブとフットワークを駆使するスタイルから、直線的に前に出てパワーパンチで勝負した。その姿は力強く映った。以前よりパワフルになり、難なく日本王座を獲得。アジアでは無敵だった。
「自分から大場(政夫)さんのボクシングを切り離した。足を使ってジャブを打つスタイルは、(大場さんの)フライ級で通用しても、(3階級上の自分の)スーパーバンタム級では通用しないと勝手に思い込んでいた。米国に行って、本場のボクサーとジャブの突き合いをしても勝てないという答えが、自分の中では既に出ていた」
尊敬するジムの先輩・元WBA世界フライ級王者・大場政夫に憧れ始めたボクシング。鋭いジャブとフットワークを使い「大場2世」といわれ、このスタイルこそ最大の武器と思われたが、キャリアを重ねるごとに前進を繰り返すファイター型へと近づいていった。
1994年3月2日、東京体育館。待望の世界初挑戦は、日本人キラーの異名をとるWBA世界スーパーバンタム級王者ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)と対戦(初回KO負け)した。
「あの時、大場さんのボクシングをしていたら、何とか耐えられたかもしれない。致命傷になったのは、初回の2度目のダウンの(相手の)右アッパー。大場さんの構え方をしていたらアッパーを防げていた」
デビュー当時、葛西は大場をまねて左右のグラブをアゴに付けるように構えていた。確かにガードが堅くなり、パンチをまともに受けなかった。しかし、バスケス戦では左手を体の前に置き、アゴから離す基本的な構えをしていた。「たら、れば」は承知の上だが、当時を思い出し、葛西は嘆息した。
世界初挑戦に失敗すると、単身ベネズエラ修行にも行き、アジアとは異なる中南米のスタイルを学んだ。同じ右構えならば、ジャブは相手の右のグローブを狙って打つ。相手は右が出しづらくなり、左だけを注意すればよくなる。その左を打ってきた時に右を合わせる。ほんの一例だが、多種多様なジャブを教え込まれた。そして2度にわたるWBA世界スーパーバンタム級王者アントニオ・セルメニョ(ベネズエラ)との世界戦。96年12月のラスベガス。指名挑戦者(世界ランク1位)として王者に挑んだが、判定負けした。左右のグローブをアゴに付けて構える以前のスタイルに戻し、動き回るセルメニョを追いかけたが、その途中でジャブを浴び、追い足が止まった。膝を使い、上半身を振り、前に出てパンチを出したが、クリーンヒットできなかった。ラストファイトとなった97年7月(横浜アリーナ、12回KO負け)のセルメニョとの再戦。またも王者の足を使った”うるさい”左に悩まされ、勝利を逃した。
「海外に行って、自分が少しボクシングを覚えた気になって、勘違いした。自分は強くなったというおごりもあったし、完全に初心を忘れていた。大場さんのボクシングを世界戦の時にしなかったことを今でも悔やんでいる」
中南米の猛者たちのジャブとフットワークに涙をのんだ。が、これは葛西に限ったことではない。多くの日本人ボクサーたちがリズム感の違うスタイルに戸惑い、足を使う相手を必死に追いかけたが、ジャブを浴び、逃げられ、ポイントまで奪われている。ある意味、日本ボクシング界が抱える大きな課題なのかもしれない。
「日本人が中南米の選手に足を使われて負けるのを、これまで数え切れないほど見てきた。自分もその一人。ガードをしてノシノシ前に行って、踏み込んでワンツーでは当たらない。無駄でもいいから色んなジャブを打って波状攻撃を仕掛ける。ジャブを打つ選手にはジャブで対抗するのが一番。それを捨ててパワーパンチで何とかしようとしていた。フットワークも捨てて、膝を使って前に出るスタイルをやっていたが、機動力を捨てたのと同じ。これでは国内レベルでは通用しても、米国、中南米といったボクシング大国の選手には勝てない」
今でこそ海外での練習など当たり前のように行われているが、当時は海外修業を経験する選手はごくわずか。その中でも、葛西ほど本場のボクシングを肌で感じた選手はいない。ラストマッチとなった世界戦から約30年。今だからこそ話せる本音だろう。
「現在は世界的に倒すボクシング全盛で、倒さなければダメみたいな風潮が強いですが、ジャブであり、フットワークであり、テクニックを見せる選手だっていいと思う。最終ラウンドまで相手に何もさせずにポイントを全部取って勝つ。これだって、素晴らしいボクシング。だから、しっかりとしたテクニックを身につけさせて、選手をリングに送り出したい。まずは新人王。新人王を作らないと、日本チャンピオンなんて言っていられない。自分を反面教師にして頑張ります」
56歳の新米会長は、初々しく決意表明した。(近藤 英一)=敬称略、おわり
◆葛西 裕一(かさい・ゆういち)1969年11月17日、横浜市生まれ。横浜高で国体、インターハイ王者となり専大に進むが、中退して89年8月に帝拳ジムからプロデビュー。日本、東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得。プロ戦績は24勝(15KO)4敗1分け。身長173センチの右ボクサーファイター。引退後は帝拳ジムのトレーナーを経て、2017年に東京・世田谷区用賀に「GLOVES」をオープン。