8月の巨人戦での一球が三嶋に現状を突きつけた(C)産経新聞社■現役に終止符 昨年オフ、DeNAから来季の構想外を告げられ…

8月の巨人戦での一球が三嶋に現状を突きつけた(C)産経新聞社

■現役に終止符

 昨年オフ、DeNAから来季の構想外を告げられた三嶋一輝。突然突きつけられた現実に、すぐ答えを出せたわけではなかった。胸の奥には、消えない思いがあった。

「まだ投げられる」

 現役続行への強いこだわりを胸に、年明けまで自らの進む道を模索し続けた。そして背番号と同じ17日、三嶋は自らの意思で引退を発表。13年間にわたるプロ野球人生に、ひとつの区切りをつけた。

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 三嶋一輝のプロ生活は、決して平坦なものではなかった。2012年ドラフト2位でDeNAに入団。即戦力として期待され、新人年から先発として1軍のマウンドに立つと、2年目には開幕投手という大役も任された。球団の将来を担う存在として、大きな期待を背負ってのスタートだった。

 しかし、その開幕戦で結果を残せず、以降は歯車が噛み合わない日々が続く。先発として結果を求められながらも思うようにいかず、苦悩の時間を過ごした。

 それでも、野球から目を背けることはなかった。活路を見出したのは中継ぎという新たな役割だった。モップアップからスタートし、持ち前の真っすぐと気迫を武器に、ブルペンの中で一歩ずつ信頼を積み重ねていく。

 序列を上げ、勝ちパターンへ。2017年には抑えに定着し、チームの勝敗を左右する立場となった。どんな状況でも全力で腕を振る姿は、DeNAブルペンの象徴のひとつだった。

■難病と向き合った時間

 だが、キャリアの最中にさらなる試練が訪れる。国指定の難病「黄色靭帯骨化症」を発症。選手生命に直結する病と診断され、長期離脱を余儀なくされた。

「もちろん精神的なものはありましたし、私生活にも影響がありましたから」

 簡単には受け入れられない現実。それでも三嶋は、自身の運命と向き合う。

「病気をしていなかったら人生を真剣に考えなかったかも知れませんね。ファンに応援されているんだなという思いをより感じることもできましたしね」

 必ず復活する。その強い意志を胸に、長く厳しいリハビリの日々に耐え続けた。しかし復帰後、身体は以前のようには動かなかった。

「今まではこうすればこうなるという身体の動きはわかっていたのですが、それが一気になくなってしまいました。今どうやって投げているんだろうと思うことはしょっちゅうで、特にマウンドの傾斜があるところだとなおさらでした」

 それでも自分を奮い立たせ、無理やり言葉も使って身体を“だまし”ながら投げ続けた。

「自分を言葉で騙して、むりやりひねったり壁を作ったりして投げていました。150キロ以上のボールを投げないと、と感じていましたからね。スタイルチェンジは難しかったですから」

 難病を発症してから、投球メカニズムは完全には戻らなかった。

「パフォーマンスが低下して1軍で結果が残っていない事実は受け止めていました」

■最後の1軍マウンド

 2025年シーズンは夏場に1軍昇格。短い期間ながらも無失点投球が続き、復活への期待を抱かせる時間もあった。しかし、その流れは長くは続かなかった。

 8月22日の巨人戦。結果的に、この試合が1軍での最後のマウンドとなった。

「めちゃくちゃ気合い入れてツーアウト取って。だけどフォアボールを続けて出してしまって…ウエストしたボールが中に入ってホームラン」

 その一球で、現実を突きつけられた。

「今の現状を叩きつけられたという感じでした」

 試合後も、その思いは消えなかった。帰宅する車中、珍しく妻に電話をかけた。

「普段は終わってから奥さんに電話しないんですけど、電話かけて僕が泣いてしまって。悔しいとかではなくて思い知らされた感じで…」

 それほどまでに、心を揺さぶられる登板だった。

三嶋は笑顔で第二のステージへと進んだ(C)産経新聞社

■それでも、全力で

 その試合を境にファーム降格。置かれている立場は誰よりも理解していた。

「あの時期に落ちてきたら、もうなかなかチャンスはないですよね」

 若手の台頭、シーズン後半という時期。それでも三嶋の姿勢は変わらなかった。最後まで、全力で野球に向き合い続けた。

「フライが上がっても『本当にアウトのコールがあるまで気を抜いちゃダメだ』って」

 中畑清氏から教えられた言葉。その教えは、プロとしての姿勢そのものだった。

「みんなが応援してくれているのに中途半端な気持ちで応えちゃいけないし、野球に取り組んでもいけない」

 妻、木塚敦志氏、そして数えきれないほどの人々に支えられながら、三嶋はその信念を最後まで貫いた。

■ポリシーを胸に、次のステージへ

 NPBからのオファーは届かなかった。一方で、社会人や独立リーグからは声がかかった。

「社会人や独立などからのオファーはあったんですけれどもね。いつまででも待つからって言ってくださるところもありましたし、すごく嬉しかったんですけどね」

 それでも、自らに問い続けた。

「NPBに戻るために野球をするのか。それともとりあえず野球をやるのか」

 悩み続けた末、引退という決断に辿り着いた。

 第二の人生においても、その価値観は変わらない。

「古い考え方かもしれないんですけれども、泥臭く一生懸命、何を目的にしているのかもわからないような努力をするのがすごく好きなんですよ」

 結果が見えないからこそ面白い。

「だってどうなるかわからないほうが面白いじゃないですか!」

 そう笑って語れるのは、すべてを出し切った13年間があったからだ。

「いろんなことを教えてもらった13年間。だからこそ長く感じました」

 特別で、濃厚なプロ野球人生を経て――
 三嶋一輝は、不屈の右腕としての誇りを胸に、第二のステージへと歩み出す。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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