『ジョホールバルの歓喜』から20年。激闘の舞台裏を今、改めて振り返る(3)――城 彰二編日本が初めてW杯出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』。あれから20年のときが経過した今、イランとの壮絶な戦いの舞台裏では何が起こっていたのか、途中出場で…

『ジョホールバルの歓喜』から20年。
激闘の舞台裏を今、改めて振り返る(3)
――城 彰二編



日本が初めてW杯出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』。あれから20年のときが経過した今、イランとの壮絶な戦いの舞台裏では何が起こっていたのか、途中出場で起死回生の同点ゴールを決めた城彰二氏が語る――。

――フランスW杯アジア最終予選は、途中で加茂周監督が解任されるなど、厳しい戦いが続きました。それでも、岡田武史コーチが監督に就任し、何とかグループ2位となって、第3代表決定戦に進むことができました。

「岡田さんが監督になって、攻守ともにやるべきことが整理されて(チームは)いい方向に向かっていったんですけど、なかなか結果につながらなかった。そんなとき、岡田さんは『焦ることはない。1%でもW杯に行ける可能性があれば、それに賭けよう。ダメなら俺が責任を取るから』と話してくれた。そうやって岡田さんから、のびのびとやれる環境を俺たちは与えてもらった。それは、すごく大きかったですね」

――迎えたイランとの第3代表決定戦。中山雅史選手が先制ゴールを奪って、このままいける、という雰囲気はあったのでしょうか。

「いえ、このまますんなり終わるとは思っていなかった。(イランには)ダエイとアジジという強力なFWがいましたからね。実際、後半に入ってから、アジジに同点ゴールを決められて、チームのムードが悪くなった。そのまま相手の勢いに飲まれて、ダエイのゴールであっという間に逆転されてしまった」

――その直後の後半18分、三浦知良選手と中山選手に代わって、呂比須ワグナー選手と一緒に城さんも出場しました。

「ロペ(呂比須)が(交代の)ファーストチョイスなのはいつもどおり。ただ、彼が呼ばれたときにベンチがざわついた。何だろうと思ったら、『城も一緒だ』っていきなり言われて......。『ウソだろ』と思ったんですけど、本当に出ることになって。だから、あのときカズさんが『オレも?』って反応したのはよくわかる。

 あの予選のあと、しばらくして岡田さんに『なんで、あのときFW2枚を一気に代えたんですか?』って聞いたんですけど、岡田さんは『わからない』って言うですよ(笑)。『ロペの交代は覚えているけど、おまえを一緒に代えるつもりはなかった』って。『でも、パッと(城も)呼ばないといけないと思った』と。それぐらい、選手も、ベンチもテンパっていたというか、あのときはみんな、極限状態の中で戦っていたんだと思います」

――結果的には、あの交代策によって、城さんの同点ゴールが生まれました。

「最初、(日本がボールを奪ったとき)前にスペースが空いていると思って、そこを突こうと思ったんだけど、(そのスペースは)オフサイドだった。それで、一度戻って、スピードダウンして止まった。そのとき、ボールを持っていたヒデ(中田英寿)がちょうど顔を上げたので、『あっ(クロスが)来るな』と思って動き直したんですけど、正直、(ゴールを)決める自信はなかったですね。

 実は俺、左サイドから来るボールが苦手なんですよ。左サイドから来るボールに対しては右足でジャンプするんだけど、それだと30cmくらいしか飛べない。右からのクロスだったら、左足でジャンプするから1mくらいは飛べるんだけどね。だから、あのときは『せぇ~の』って感じで、両足で飛んだんですよ」

――かなり打点の高いヘディングシュートだったように記憶していますが。

「必死だったからでしょ(笑)。あと、ヒデからのボールは速くて、回転して巻いてくるボールなんだけど、その瞬間にGKが見えたんですよ。普通クロスが上がってくると、GKは同サイド(ニア)から逆に体が流れてくるものなんですけど、イランのGKはそのまま体が流れずに立っているのが見えた。で、『このまま(ボールを頭に)当ててコースを変えれば入るな』と思った。あの瞬間は、なぜかすごく冷静でしたね」

――2-2となって延長戦に突入。チームはどんなムードだったのでしょうか。

「勢いは、間違いなく日本にあった。『絶対に勝てるよ』って、みんなも言っていた。でも、スタメンの選手は暑さと湿度でかなり疲れていた。それは、相手も一緒で、特に最終ラインは相当へばっていた。それで、岡野(雅行)くんが投入されたんだけど、これで『いける!』って思った。この状況で、岡野くんが裏に抜けたら、ぶっちぎれると思いましたから。

 そこで、ヒデとは『俺がおとりになって下がるから、裏のスペースに蹴って岡野くんを走らせよう』という話をしていた。岡野くんにも『裏を狙えよ』って言ったら、いきなり決定的なチャンスを作った。GKと1対1になってね。でも、岡野くんはシュートを打たなかったんだよなぁ(笑)。びびっていたらしいけど、パスを出して相手にクリアされた」

――ああいうビッグチャンスを生かせずに終わると、逆に相手にワンチャンスを決められてしまうのではないか、という怖さはありませんでしたか。

「いや、そういうのはなかったですね。完全に自分たちのペースだったし、Vゴール方式だったので、1点取れば勝てる、と思っていました。ただ、岡野くんがシュートを打たなかったときはみんな、さすがにのけぞっていましたね。『何やってんだよ、打てよ!』って、怒鳴り散らして(笑)。あの緊張感の中でシュートを打てないのはわかるけど、俺なら間違いなく打っていたと思う。だって、オイシイじゃないですか」

――城選手は、途中でゴールポストに衝突して頭を打っていましたよね。

「GKと接触してゴールポストに頭をぶつけて、脳しんとうを起こしていました。そこから、記憶がないんですよね。ヒデが俺に『大丈夫か?』って優しく対応してくれたんだけど、それをテレビで抜かれていて、あれからふたりは"デキてる説"が持ち上がったときには参りましたよ(笑)。

 まあ、それはいいとして、脳しんとうを起こして記憶を失ってからは、俺はまったくプレーに関与していないんですよね。あとから試合の録画映像を見てわかったんだけど、中盤の変なポジションをウロウロしていた(笑)。でも、最後にヒデがシュートを打つ前に、フッと我に返った。『あっ、俺、今試合に出ているんだ』って。しかもその瞬間、ヒデがいきなり俺のほうにドリブルをしてきて、シュートを打ったんですよ。それを、最後は岡野くんが決めてくれた」

――岡野選手のゴールが決まった瞬間は、どんな思いでしたか。

「ホッとした。これで、やっと終わったって思いました。うれしいというより、『疲れたぁ~』って思いのほうが強かったですね」

――あの『ジョホールバルの歓喜』は、その後のご自身のサッカー人生にどんな影響を与えましたか。

「あれがあったから、W杯に出場できて、W杯の偉大さを知ることができた。それは、自分にとって、とてつもなく大きなことだった。W杯に出場したか、しなかったかで、まったく違うサッカー人生になっていたと思います。

 W杯の偉大さと言えば、ブラジルW杯のときに現地に行った際、あるレストランで食事をしたんだけど、たまたまそこに俺のことを知っている人がいたんですよ。『1998年のフランスW杯に出ていたよね?』って。それで、『はい』って答えたら、レストラン中がうわぁって盛り上がった。世界ではW杯に出場した選手は、それだけで尊敬に値するらしくて、その位置づけというか、重みが日本とはぜんぜん違う。そういうのを経験すると、W杯って改めてすごいものなんだなって思いますね」