荻野貴司外野手(40)が、新たな決断を下した。40歳での異国での挑戦は、決して簡単な選択ではなかったはずだ。それでも、ひ…

荻野貴司外野手(40)が、新たな決断を下した。40歳での異国での挑戦は、決して簡単な選択ではなかったはずだ。それでも、ひとつだけ確かなことがある。荻野は、最後まで「愛される選手」だった。

グラウンドの片隅での、何げない振る舞いを見ていれば、荻野貴司という選手がどんな人だったのかは分かる。

昨年の自主トレ公開の日。朝早くから体を動かしていた荻野は、報道陣に声をかけられるたび、サングラスを外した。1度ではない。相手の目を見て、外して、頭を下げる。流れ作業のような対応をしない。その所作だけで、人柄は十分に伝わってきた。

記者席に、自身が手がける「OGI FARM」のカレーと焼き芋シェイクの差し入れを届けてくれたことも。試合前の慌ただしい時間帯にもかかわらず、気遣いを見せた。

昨季、荻野は長いリハビリ生活を送った。1軍出場はかなわなかったが、「何もしない選手」ではなかった。リハビリ期間中、自ら他の選手の打撃練習を手伝い、声をかけ、若い選手の様子に目を配った。自分の状態が万全でない中でも、常に「チームの一員」であり続けた。

「弱音をほとんど吐かないんです」。そばで支えたトレーナーは、荻野の人柄をそう語る。

負傷して以降、状態は一進一退を繰り返した。オフを経て迎えた昨年の春季キャンプでは「動けている」という感触もあったが、実際に強度を上げると膝は腫れ、痛みが出る。バッティングをすれば走れない。練習に入れば、また後退する。

トレーナーは当時をこう振り返る。「最初は、正直バットを振るだけでも膝が痛い状態でした。朝は大丈夫でも、打つともう走れない。そういう時期がありました」。

4月から5月にかけて、関係スタッフ全員で話し合い、下した決断は「1度、完全に立ち止まる」ことだった。安静から始め、軽いジョギングを1週間。腫れが出なければ、次へ進む。確認、また確認。その積み重ねは、通常よりはるかに時間がかかる長期プランだった。

それでも荻野は、決して焦って前に出ようとはしなかった。「普通なら、隠れてやってしまう選手もいる。でも荻野さんは、ちゃんと休むことを選んでくれた」とトレーナーは語った。

先が遠く見えるリハビリの中でも荻野は決して、感情を周囲にぶつけることもなかった。落ち込む様子を表に出すことなく、グラウンドでは変わらず穏やかに、周囲を気遣う姿勢を崩さなかった。

6月、ようやくファームで実戦復帰を果たした。「毎日、ちょっとでも良くなるために何をしようかなって考えてました」。復帰後の言葉にも、不満や言い訳はなく、前を向く言葉だけが並んだ。結果として、1軍の舞台には届かなかった。それでも荻野貴司は、最後まで「プロ野球選手」であり続けた。

退団が決まり、新天地はチェコ。異国の地でも、プレー以前に、人として信頼される存在であることはきっと変わらない。

チェコ移籍が発表された直後、また1つ、荻野らしい光景が生まれた。SNSでは、ファンが次々と「チェコまでの行き方」を調べ始めた。遠い異国のリーグへ向かう選手に、ここまで自然と人が動く。それ自体が、どれほど愛されてきたかの証だった。

あいさつを大切にし、苦しい時こそ周囲を思い、誰かのために動く。荻野は、最後までそういう選手だった。だからこそ、今も、そしてこれからも、応援され続ける。【ロッテ担当=星夏穂】