<大相撲初場所>◇8日目◇18日◇東京・両国国技館「国技館」72年目にして初の大波乱が起きた。天覧相撲で2横綱2大関が全…
<大相撲初場所>◇8日目◇18日◇東京・両国国技館
「国技館」72年目にして初の大波乱が起きた。天覧相撲で2横綱2大関が全て敗れ、蔵前国技館で初めて実施された1955年(昭30)夏場所以降、初の横綱大関「総崩れ」となった。
20年1月25日の初場所14日目以来6年ぶりに、天皇、皇后両陛下、長女愛子さまがご来館。幕内後半戦を観戦された中、琴桜から4番連続で上位が負け、新大関の安青錦、両横綱の豊昇龍、大の里と、いずれも取組前まで1敗だった3力士全員に土がついた。1敗は関脇霧島と前頭阿炎の2人に。大の里を押し出した伯乃富士は18年初場所の北勝富士以来、昭和以降3人目の4場所連続金星を獲得した。
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天覧相撲に奮起したのは横綱、大関の対戦相手だった。既に琴桜、安青錦、豊昇龍が敗れて迎えた結びの一番。大の里は“天敵”伯桜鵬改め伯乃富士に3つ目の金星を配給した。立ち合いから上体を起こされて顔をしかめ、一方的に押し出された。直前の取組で前頭大栄翔に金星を配給した豊昇龍は、東の支度部屋で風呂から出た瞬間に、大の里の敗戦を映像で目撃。「負けた!?」と思わず声を上げた。上位総崩れに当事者たちも驚きを隠せなかった。
横綱、大関陣の天覧相撲「総崩れ」は戦後初でもあり、幕内後半戦の粂川審判長(元小結琴稲妻)も開口一番「びっくりした!」と素直に語った。白熱が期待される割を組んだのは審判部とはいえ、大関2敗の後に金星2つまで飛び出すのは予想以上だった様子。両陛下と愛子さまが笑顔で拍手されるご様子とは対照的に、その後方に控えていた日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は、時間経過とともに口を真一文字に結んだ。ある力士は「理事長の顔が…」と、どんどん険しくなる表情に恐怖心すら覚えた様子だった。
4場所連続4つ目、うち3つが大の里から金星を挙げた伯乃富士は、入門時の師匠譲りの天覧相撲での強さを発揮した。「入門したころに白鵬横綱が『天覧相撲で1度も負けていない』と言っていた。陛下の前で相撲を取るなんて、普通はできない経験」と、必死に興奮を抑えて振り返った。対照的に大の里は、先場所で千秋楽休場の要因となった左肩痛再発を思わせるように、力なく一方的に敗れた。天覧相撲の華やかな雰囲気から一転、今後の優勝争いに暗雲が垂れ込めた。
横綱、大関陣は取組後、黒紋付きに着替え、両陛下と愛子さまと懇談した。関係者によると、長い天覧相撲の歴史の中でも初めての試み。昨年12月に誕生日を迎えられた皇后陛下は、安青錦について言及されていただけに、懇談について安青錦は、詳細こそ明かさなかったが「いろんな話をしました」と話し、今後の活力にしていた様子だった。
両陛下に付き添った八角理事長は「(迫力に)びっくりされていました」。懇談の場では、取組について具体的にはお話しにならなかったといい「みんな負けてしまったからでは…」と代弁した。「下の者が張り切った。陛下の前でいい相撲を取ることが一番」と波乱を呼んだ下位力士は褒めたが、総崩れを天皇ご一家に気遣われた形の歴史的な日となった。【高田文太】
◆天覧相撲 始まりは1868年(慶応4)4月17日に大阪坐摩神社で行われた京都相撲。昭和天皇は51回観戦。平成では23回(初場所20回、夏場所2回、秋場所1回)。通常は立行司が結びの触れで「この相撲一番にて本日の打ち止め」と発するが、天覧相撲では「打ち止め」が「結び」になる。敬語を使うためとされる。大入りの袋には「行幸啓記念」の文字が入る。