フィギュアスケートの学生氷上選手権が、今月11日まで東京辰巳アイスアリーナで行われた。通称「インカレ」と呼ばれ、この大会…

フィギュアスケートの学生氷上選手権が、今月11日まで東京辰巳アイスアリーナで行われた。通称「インカレ」と呼ばれ、この大会を目標に掲げる学生スケーターも多い。女子7・8級による選手権に初出場した大谷理麗花(22=慶應義塾大4年)もその1人。昨年12月に右膝の前十字靱帯(じんたい)断裂の大ケガを負った中、10日のショートプログラム(SP)では痛みをこらえながらプログラムを通した。集大成と定めるシーズンで初めて立ったインカレの舞台。その思いに迫った。

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■拍手と歓声に込み上げた「幸せ」

自然と起こる拍手が、6歳から始めた競技人生を照らしてくれるようだった。

大谷は右膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大ケガを負いながら、リンクに立った。氷に乗るのがやっとの状態。ジャンプを跳ぶことができず、もどかしさがあった。それでも力の限りに氷を滑ると、会場は温かい空気に包まれた。リンクサイドに詰めかけた仲間からも、拍手と声援が響く。胸には込み上げる思いがあった。

「拍手が起きた時は、滑って良かったな、頑張ってきて良かったな、と思えました。インカレの舞台を通じて、競技生活でお世話になった皆さんに少しでも感謝の気持ちを伝えられたらいいなと思っていたので、それが拍手という形で自分の耳に届いて、ホッとしました。このために頑張ってきたんだな、と再確認できました」

結果は21・75点で最下位の35位。「一番良かったのはベストパフォーマンスをすることなので、すごく悔しい気持ちがある」と素直な思いを吐露しながらも、表情は晴れやかだった。

「本当に幸せな時間でした」

初のインカレの舞台に立ち、何度も「幸せ」と口にした。

■6歳から打ち込んだフィギュア

膝を負傷したのは、25年12月上旬。大学の行事でバドミントンをしている時だった。思い切って右足を踏み込むと「ブチッ」という音がした。

すぐに病院でMRI検査を受けると、前十字靱帯(じんたい)が断裂していた。1カ月後のインカレの話をすると、医師や理学療法士からは「歩くのが精いっぱいだと思う」と伝えられた。

重傷であることは、何よりも自分自身が身をもって痛感していた。足を伸ばすことができない。座っていても患部が痛んだ。

ただそれでも、インカレへの思いは消えなかった。

「私はこの4年間、インカレの舞台に立つために頑張ってきて、ラストシーズンで初めて出場権を獲得して、出場したい思いが誰よりも強くありました」

競技を始めたのは小学生1年生のころ。10年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央に憧れを抱き、「やってみたい」と思った。生まれ育った広島には通年型のリンクがないことなどもあり、はじめは両親から反対されたが「土下座をして『やらせてください』とお願いしました」と必死に頼み込んだ。

いざフィギュアを始めると、せわしない日々が待っていた。夏場は片道2時間かけて、岡山のリンクへ。帰宅するころには日が変わり、午前1時になることもしばしばだった。捻挫、打撲、膝の成長痛に苦しんだこともあった。

進学した慶応義塾大では薬学部に在学。午前9時から午後6時までびっしりと授業が続いた。

そんな中でも、平日は朝5時45分から朝練習に参加し、講義後も夜9時まで氷に乗った。土曜も練習とトレーニングに明け暮れた。「この4年間は勉強か、スケートか、みたいな毎日だった」と振り返るが「辞めたい」と思うことは1度もなかった。

「そういう生活を毎日していても、苦にならないくらい打ち込めたものがフィギュアスケートでした」

だからこそ、前十字靱帯(じんたい)断裂の大ケガに直面した時も、できる限りの力を尽くそうと思った。

「このために朝練や夜練も頑張ってきたので、頑張ってきた自分のために出てあげたいと思っていました」

■「奇跡」と言われる回復でインカレの舞台へ

ケガから3週間後の昨年12月29日。初めてスケート靴を履くと、それだけで足が痛んだ。氷上ではフェンスにつかまるのが精いっぱいだった。

年が明け、滑れるようになったのは1月5日。患部に負担がかからないよう、従来とは異なる部位の筋肉を動かしながら滑った。

ケガをした当初は「1カ月後にフィギュアスケートはできない」と伝えられた中、地道にリハビリを重ね、何とか氷上で滑る動きはできるようになった。医師から「今まで見たことがない」と驚かれるほどだった。

「何とかこの1週間で仕上げて。みんなが『奇跡だよ』と驚いていました。この舞台に立てたこと、ここまで回復できたことに感謝でいっぱいです」

そうして迎えたインカレの舞台。ジャンプを跳ぶことはできなかったが、氷上を懸命に滑っていった。会場に響いた拍手や歓声が、胸に染みた。

「ケガをした日から1日も諦めずにやってきました。『出場できないかも』とは思わず、『絶対に出場するんだ』という思いでリハビリやトレーニングに励んできました。思うような結果ではなかったですけど、フィギュアスケートに出合えて良かったなと思います」

歩みを振り返る瞳は、澄んでいた。

■「諦めずにやれば…」インカレを終えた今の思い

在籍する薬学部は6年制。今は薬剤師を志望している。競技継続については「今回のこともあって悩んでいて今後のことは考えていない」と話すが、5年生となる来年度からは実習が本格化することもあり、より勉学に打ち込む見通しだという。

念願だったインカレの舞台を終えた今、実感を込めながらしみじみと口にした。

「諦めずにやれば、かなえられないものはないんじゃないかなと感じました」

そう思えるのは、最後まで力を尽くしたからこそ。ここまでの道のりは、これからの人生の道しるべになるはずだ。【藤塚大輔】