サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、3本線の憎いやつ。

■始まりは陸上競技用シューズ

 現在、アディダスはワールドカップを主催する国際サッカー連盟(FIFA)のトップパートナーのひとつであり、FIFAとは半世紀以上にわたって深い関係を築いてきた。

 南ドイツの小さな町に生まれたアドルフ・ダスラーは洋服の仕立て職人の息子だったが、靴作りに興味を持ち、第一次世界大戦(1914~1918年)への従軍から戻ると靴修理の仕事についた。そして兄(後にケンカ別れして「プーマ」を設立する)とともに「ダスラー兄弟社」を創業してスポーツシューズの開発に乗り出す。

 最初に作ったのは陸上競技用のシューズだった。陸上競技のシューズに「スパイク」をつけることを考案したのはアドルフで、1928年のアムステルダム・オリンピックで金メダリストを生み、1932年のロサンゼルス・オリンピックでは5つものメダルに増え、さらに1936年ベルリン・オリンピックではアフリカ系アメリカ人のスプリンターにシューズを提供。そのジェシー・オーウェンスが4つもの金メダルを取る活躍を見たことで、一挙に世界的な名声を得る。

■新しい「ポイント」の発明

 第二次世界大戦(1939~1945年)後、兄とたもとを分かったアドルフは、1949年、自分の社名を自分の名前を縮めた「アディダス」に変え、シューズに「3本線」を入れることを思いつく。シューズのアッパーの伸び防止のための補強としてテープを使う技法は、オーウェンスに提供したシューズにも使われていたが、黒いシューズに黒いテープだったのでまったく目立たなかった。それを白いテープにし、ひと目で「アディダス」のシューズとわかるようにしようという狙いだった。

 その後、アドルフ・ダスラーはサッカーシューズの開発にも乗り出し、軽量のシューズを作って西ドイツ代表のゼップ・ヘルベルガー監督の信頼を得るようになる。そして1954年、新しいアイディアを盛り込んだサッカーシューズを開発する。それまでサッカーシューズの「ポイント」はシューズの底に短いクギで打ち付ける形だったのだが、シューズの底に「雌ネジ」を埋め込み、「雄ネジ」をつけたポイントをねじ入れて固定する方法を考え出したのである。

■スーパーチーム撃破の舞台裏

 この「秘密兵器」が、1954年7月4日、雨でぬかるんだベルン(スイス)のスタジアムで威力を発揮し、西ドイツ代表にワールドカップ初優勝をもたらす。試合前にピッチを見たヘルベルガーはダスラーにポイントを一番長いものに付け替えるよう命じ、西ドイツ選手たちが軽快なフットワークでプレーしたのに対し、短時間で付け替えることなど不可能だったハンガリー(当時4年間無敗のスーパーチームだった)を破ることができたのだ。

 これをきっかけにアディダスのサッカーシューズはサッカーの世界で大きく伸び、1966年のワールドカップ(イングランド大会)では最大のシェアを得るようになる。

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