野球殿堂博物館は15日、都内で今年の野球殿堂入りを発表し、コーチ、監督経験者らを対象とする「エキスパート表彰」で栗山英樹…
野球殿堂博物館は15日、都内で今年の野球殿堂入りを発表し、コーチ、監督経験者らを対象とする「エキスパート表彰」で栗山英樹氏(64)を選出した。
「プレーヤー表彰」「特別表彰」に該当者はなく、栗山氏ただ1人の殿堂入りとなった。日本ハム監督として16年に日本一を達成し、大谷翔平の二刀流を後押し。23年には侍ジャパン監督としてWBC世界一を成し遂げた。「才能ではなく、多くの人の思いが人を育てる」という指導者人生が、殿堂入りという形で評価された。
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栗山氏は殿堂入りの実感を問われ、「博物館で先人の名前を見るたびに、まさか自分が入るとは思っていなかった。本当に入っていいのかという思いは今もある」と率直な胸中を明かした。東京学芸大から入団テストを経てドラフト外でヤクルトに入団。現役生活は7年間で、メニエール病やケガに苦しみ、「選手として活躍できずに引退した」という悔しさを味わった。それでも野球への思いを失わず、指導者の道を歩み始めた。
転機は日本ハムの監督就任だった。「ほんのひと握りの人が可能性を信じ、チャンスを与えてくれた。それが今につながっている」と感謝する。12年に監督に就任し、16年に日本一を達成。最も印象に残る采配は、同年7月3日のソフトバンク戦(ヤフオク)だ。大谷を「1番投手」で起用し、先頭打者本塁打を放った場面は「一生忘れない」と話した。「信じ続けることで、毎日いろんなことが起こる。大谷はその象徴のような選手」と振り返った。
指導の原点には、入団時に寄り添ってくれたヤクルト2軍監督の内藤博文氏(当時)の存在がある。「自分が選手時代に嫌だったことは、絶対にやらない」と断言。ドラフト外でプロ入りし、首脳陣に目にかけてもらう機会は限られていたが、内藤氏は最後まで寄り添ってくれたという。「人の思いに寄り添うことの大切さを肌で感じた」と、信念はここから生まれた。
指導者として最大の出会いは大谷だろう。二刀流起用については「2つやらせるというより、どちらかをやめさせると言えなかった」と自然な判断だったと語る。一方で「一番怖かったのは能力ではなく、体が壊れることだった」と当時の葛藤も明かした
球界発展への思いは尽きない。23年のWBCでは侍ジャパンを世界一に導き、「野球の伝道師になってほしい」と選手に託した思いは今も受け継がれる。現在は日本ハムCBOとして野球振興にも尽力している。
「才能ではなく、多くの人の思いが人を育てる」。その歩みが殿堂入りという到達点につながった。【鳥谷越直子】
◆16年の日本シリーズ 日本ハム栗山監督と広島緒方監督が対戦。マツダスタジアムで開幕し、ホームの広島が連勝発進。札幌ドームに移した第3戦は延長10回に大谷がサヨナラ打。第4戦は8回にレアードの決勝2ラン。第5戦は9回に西川のサヨナラ満塁弾が飛び出し、日本ハムが3連勝で王手をかけた。マツダスタジアムに戻っての第6戦は1回に日本ハムが先制。2回に守備の乱れから逆転を許すも、4回に2点を加えて勝ち越し。8回には投手のバースが適時安打。続くレアードが満塁弾を放ち試合を決定づけた。最後は谷元が9回を締め、4勝2敗で日本ハムが10年ぶりの頂点に。栗山監督が就任5年目で悲願の日本一に輝いた。シリーズMVPは3発7打点のレアード。
◆23年WBC 3大会ぶり3度目の優勝を目指す日本代表は1次ラウンドを4戦全勝で1位通過。続く準々決勝のイタリアにも勝利し、準決勝、決勝を戦うマイアミ行きを決めた。準決勝のメキシコ戦では村上の逆転サヨナラ打で劇的勝利。決勝戦の米国戦は2回表に先制を許すも、その裏に村上のソロとヌートバーの一ゴロで逆転した。3回以降は戸郷、高橋宏、伊藤、大勢、ダルビッシュとつなぎ、9回に大谷が登板。先頭に四球を出したが、続くベッツを二併、トラウトを空振り三振に抑えて試合を締めた。投打でチームをけん引した大谷がMVPを獲得。表彰式後は選手たちがマウンド付近に集まり、胴上げでは栗山監督が10度、宙を舞った。
★栗山氏年表
61年 4月26日、東京都小平市で生まれる。小学生時代に軟式野球を始め、中学時代には地元の硬式野球クラブに所属。
77年 憧れの原辰徳氏がいた東海大相模と迷った末、創価に進学。3年時は主将兼エースも、甲子園出場はなし。
80年 東学大に進学。小中高の教員免許取得。投手兼内野手で通算25勝8敗、打率3割9分5厘。
83年 元大毎でキャスターの佐々木信也氏の勧めで入団テストを受け、ドラフト外でヤクルト入団。
84年 10月8日大洋戦(神宮)で初出場。秋に両打ち転向。
86年 6月から外野のレギュラーを担い、規定未満ながら打率3割1厘。
88年 外野手に登録変更。ケガで出遅れるも、90試合で打率3割3分1厘。
89年 主にセンターを守り、ゴールデングラブ賞受賞。6月4日中日戦(神宮)で1試合4犠打のプロ野球タイ記録。
90年 右肘痛など体調を理由に現役引退。
91年 キャスターに転身し、テレビ朝日「スポーツフロンティア」でキャスターデビュー。
04年 白鴎大の助教授に就任。現在は休職中も、特任教授として在籍。
12年 日本ハム監督就任。指導歴なく就任も、いきなりリーグ優勝。オフのドラフトで大リーグ挑戦を明言していた花巻東・大谷翔平を1位指名。
16年 最大11・5ゲーム差を逆転してリーグV。広島との日本シリーズも制し、球団10年ぶり3度目の日本一。正力松太郎賞受賞。
21年 4月10日オリックス戦で大沢監督を抜く球団最多の監督通算632勝目。3年連続Bクラスとなり、オフに監督退任。12月に侍ジャパン監督就任。
23年 3月の第5回WBCで米国を破り3大会ぶり3度目の優勝。5月に退任。正力賞の特別賞受賞。
24年 日本ハムのチーフ・ベースボール・オフィサー就任。