<とっておきメモ>野球殿堂博物館は15日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、エキスパート表彰で栗山英樹氏(64=日本ハムC…

<とっておきメモ>

野球殿堂博物館は15日、今年の殿堂入りメンバーを発表し、エキスパート表彰で栗山英樹氏(64=日本ハムCBO)が選ばれた。プレーヤー表彰、特別表彰は選出者がなく、今年は栗山氏が唯一の選出。通知式には前巨人監督の原辰徳氏(67)も同席し、栗山氏を祝福した。

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日本ハムの監督に就任した12年から担当記者として取材させていただいている中で1度、サプライズで祝福されたことがある。今ではチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)という肩書だが、どうしてもイメージは「監督」のままなので、あえて栗山監督と書かせていただく。

23年2月のこと。世間はWBC一色。侍ジャパンの指揮官となって宮崎で強化合宿を行っていた時だ。ある日、関係者が栗山監督に「今日は木下の誕生日なんですよ」と耳打ちしてくれたそうだ。その方から栗山監督が球場から帰る時は必ず顔を出すようにと言われたので、何があるのだろうかとちょっとドキドキしながら待っていた。

しばらくして栗山監督が球場から出てきた。多くの担当記者に見守られながら「おつかれさまー」と言って車に乗り込もうとした、その時。私の顔をみつけて、慌てて車に乗り込むのを止めた。「そうだ、そうだ」と言いながら、その場で私の方を向いていきなり歌い出したのが「♪ハッピーバースデートゥーユー」だった。しかも満面の笑みだ。

事情を知らない周りの記者の顔はポカンとしていた。そんな中で笑顔の栗山監督は「おめでとう、木下。何が欲しい? 」と聞いてきた。恐縮しながら、とっさに私はリクエストした。「ありがとうございます。監督、いいニュースをください!」

「なんだよ、それ。まあいいや、おめでとう」

そう言って笑みを浮かべながら車に乗り込み、球場を後にした約1カ月後。栗山監督は世界一監督に。最高のニュースをくれた。

人のために尽くせる人。それは選手だけでなく、一記者に対しても同じ。誰に対しても変わらない人柄だから、野球の神様も味方に付けられるのだろう。よく「野球は物語」とも話すが、人付き合いもまさに物語なのが栗山監督。今回の殿堂入りでまた1つ、いいニュースをもらった。【日本ハム担当 木下大輔】

◆栗山英樹(くりやま・ひでき)1961年(昭36)4月26日、東京都生まれ。創価高-東京学芸大。83年ドラフト外でヤクルト入団。プロ1年目の秋に両打ち転向、3年目に打率3割。89年に外野手でゴールデングラブ賞。通算494試合、336安打、7本塁打、67打点、打率2割7分9厘。90年に引退後はスポーツキャスター、大学教授などを務め、12年から日本ハム監督。12年リーグ優勝、16年日本一。監督通算684勝は日本ハム最多。21年11月、日本代表監督に就任。23年3月、WBC優勝。現役時は174センチ、72キロ。右投げ両打ち。,

◆16年の日本シリーズ 日本ハム栗山監督と広島緒方監督が対戦。マツダスタジアムで開幕し、ホームの広島が連勝発進。札幌ドームに移した第3戦は延長10回に大谷がサヨナラ打。第4戦は8回にレアードの決勝2ラン。第5戦は9回に西川のサヨナラ満塁弾が飛び出し、日本ハムが3連勝で王手をかけた。マツダスタジアムに戻っての第6戦は1回に日本ハムが先制。2回に守備の乱れから逆転を許すも、4回に2点を加えて勝ち越し。8回には投手のバースが適時安打。続くレアードが満塁弾を放ち試合を決定づけた。最後は谷元が9回を締め、4勝2敗で日本ハムが10年ぶりの頂点に。栗山監督が就任5年目で悲願の日本一に輝いた。シリーズMVPは3発7打点のレアード。

◆23年WBC 3大会ぶり3度目の優勝を目指す日本代表は1次ラウンドを4戦全勝で1位通過。続く準々決勝のイタリアにも勝利し、準決勝、決勝を戦うマイアミ行きを決めた。準決勝のメキシコ戦では村上の逆転サヨナラ打で劇的勝利。決勝戦の米国戦は2回表に先制を許すも、その裏に村上のソロとヌートバーの一ゴロで逆転した。3回以降は戸郷、高橋宏、伊藤、大勢、ダルビッシュとつなぎ、9回に大谷が登板。先頭に四球を出したが、続くベッツを二併、トラウトを空振り三振に抑えて試合を締めた。投打でチームをけん引した大谷がMVPを獲得。表彰式後は選手たちがマウンド付近に集まり、胴上げでは栗山監督が10度、宙を舞った。

★栗山氏年表

61年 4月26日、東京都小平市で生まれる。小学生時代に軟式野球を始め、中学時代には地元の硬式野球クラブに所属。

77年 憧れの原辰徳氏がいた東海大相模と迷った末、創価に進学。3年時は主将兼エースも、甲子園出場はなし。

80年 東学大に進学。小中高の教員免許取得。投手兼内野手で通算25勝8敗、打率3割9分5厘。

83年 元大毎でキャスターの佐々木信也氏の勧めで入団テストを受け、ドラフト外でヤクルト入団。

84年 10月8日大洋戦(神宮)で初出場。秋に両打ち転向。

86年 6月から外野のレギュラーを担い、規定未満ながら打率3割1厘。

88年 外野手に登録変更。ケガで出遅れるも、90試合で打率3割3分1厘。

89年 主にセンターを守り、ゴールデングラブ賞受賞。6月4日中日戦(神宮)で1試合4犠打のプロ野球タイ記録。

90年 右肘痛など体調を理由に現役引退。

91年 キャスターに転身し、テレビ朝日「スポーツフロンティア」でキャスターデビュー。

04年 白鴎大の助教授に就任。現在は休職中も、特任教授として在籍。

12年 日本ハム監督就任。指導歴なく就任も、いきなりリーグ優勝。オフのドラフトで大リーグ挑戦を明言していた花巻東・大谷翔平を1位指名。

16年 最大11・5ゲーム差を逆転してリーグV。広島との日本シリーズも制し、球団10年ぶり3度目の日本一。正力松太郎賞受賞。

21年 4月10日オリックス戦で大沢監督を抜く球団最多の監督通算632勝目。3年連続Bクラスとなり、オフに監督退任。12月に侍ジャパン監督就任。

23年 3月の第5回WBCで米国を破り3大会ぶり3度目の優勝。5月に退任。正力賞の特別賞受賞。

24年 日本ハムのチーフ・ベースボール・オフィサー就任。