初芝清インタビュー(後編) ロッテ一筋17年の現役生活で、Aクラスはわずか2回。それでも最後の最後に、日本一の景色が待っ…
初芝清インタビュー(後編)
ロッテ一筋17年の現役生活で、Aクラスはわずか2回。それでも最後の最後に、日本一の景色が待っていた。「ミスター・マリーンズ」初芝清氏が語る2005年の記憶と、数々の名投手との真剣勝負。そして、指導者としてたどり着いた野球観とは。
引退後は社会人野球の指導者として多くの選手を育てた初芝清氏
photo by Sportiva
【現役最後の年に初の日本一】
── 初芝さんは「ミスター・マリーンズ」や「幕張のファンタジスタ」と呼ばれファンに愛されましたが、プロ生活のなかで一番思い出に残っているシーンは何ですか。
初芝 2005年のプレーオフ第2ステージ最終戦(第5戦)で、最後に守備に就いていたことですね。あの年は私の引退シーズンで、三塁は今江敏晃が守っていましたし、私は先発出場してもDHが中心で、守備に就く機会はほとんどありませんでしたから。
── 現役17年間でAクラスは2回だけと、失礼ながらチームは「暗黒時代」でしたが、引退の年に日本一を達成するとは、"持っている"と思いませんでしたか。
初芝 千葉マリンスタジム(現・ZOZOマリンスタジアム)の最終戦で引退セレモニーが行なわれ、ソフトバンクの三瀬幸司投手から死球を受け、笑いに包まれました。通常は引退セレモニーの翌日から試合に出ることはほとんどありませんが、私はその後もプレーオフ、日本シリーズと続き、約1カ月間ユニフォームを着続けることになりました。そのため周囲からは「まだいるの?」という目で見られていましたね(笑)。それでも最後の最後で日本一を味わえて、ほんとにすばらしいプロ野球人生でした。
── 現役時代は多くの投手と対戦されましたが、印象深かった投手を挙げるとすると誰ですか。
初芝 球種別にすごかった投手を挙げたいと思います。まず野茂英雄投手のフォーク。低めに落ちるボール球のフォークを振らないよう目付けを高くしていても、いざ振ったらワンバウンドしていました。
── ストレートは誰でしたか?
初芝 西武の渡辺智男です。グォーンと浮かび上がってくるようなストレートで、どこを振っていいのかわからない。「これがあの清原和博を3三振に仕留めたストレートか」と実感しましたよね。ほんと最高のストレートです。
── そのほかは?
初芝 スライダーは近鉄時代の岩隈久志です。真っすぐの軌道で来て、最後にズレるんです。イメージとしては、真横に鋭角的に曲がるカットボールのような感じです。西武時代の松坂大輔のスライダーもすばらしかったですが、少し膨らむんです。その分、スライダーと認識できるのですが、岩隈投手のスライダーは真っすぐと思った瞬間に曲がるから厄介でしたね。
── カーブだと誰ですか?
初芝 ダイエー(現・ソフトバンク)の木村恵二投手です。とにかく落差が大きく、ボールが放たれた瞬間、アゴが上がってしまうんです。そうなると打者は負けですから......。
【すごいと思った3人の打者】
── では、同じ打者としてすごいと思った選手を3人挙げてください。
初芝 2004年に三冠王を獲ったダイエーの松中信彦。「あれだけ振れるんだ」と驚かされた日本ハムの小笠原道大。右打者では西武時代の清原和博ですね。右中間方向に打球が伸びていくし、なによりも強打者の雰囲気を持っていましたよね。
── イチロー選手はどうでしたか?
初芝 ブレイク当初は内野安打が多いイメージがありましたが、私が守っていたサードにはほとんど飛んできませんでした。とくに千葉マリンは、平均7、8メートルの風が吹き、ピッチャーのボールは独特な変化球になるので、ロッテ戦は得意ではなかったようです。
── また現役時代は、有藤通世監督、金田正一監督、八木沢荘六監督、ボビー・バレンタイン監督、江尻亮監督、近藤昭仁監督、山本功児監督と、7人の監督に仕えています。
初芝 有藤監督からは、プロの世界の厳しさを教えてもらいました。金田監督は試合に使っていただきましたし、投手には厳しいことを言う一方で、野手にはほとんど何も言わなかったので、私にとってはやりやすい監督でした。投手出身の八木沢監督も、その点では同じ印象です。ボビー・バレンタイン監督のもとでは、1995年にリーグ2位、2005年には日本一と、結果を残すことができました。
── ほかの監督はいかがですか?
初芝 江尻監督は選手たちの考えを尊重してくれたというか、何も言わない監督でした。近藤監督の時は、18連敗が印象に残っています。山本監督はコーチの時からよくしていただき、温かく見守ってくれました。それぞれの監督に思い出がありますね。
── 1998年の18連敗はつらかったのではないですか。
初芝 ただチーム打率はリーグ1位、チーム防御率も2位でしたから、「打てなくて負けた」「抑えられなくて負けた」という印象はあまりありませんでした。メディアの注目も集まり、負ければ負けるほど観客が増えていく。その状況を、どこかありがたくもあり、不思議な感覚で受け止めていました。ただ、最終的な結果は最下位。振り返ると、そんなシーズンだったという印象です。
── 17連敗目となった試合は、いわゆる「七夕の悲劇」と呼ばれ、2点リードの9回二死から同点2ランを浴びました。
初芝 ハービー・プリアムに一発を浴びました。カウント2−2から、捕手の福澤洋一が内角寄りに構えた瞬間、ベンチは全員「えっ!?」と思いました。本塁打だけは避け、外角に投げておけばいい場面だっただけに......。さらに延長12回には、近藤芳久が代打の広永益隆選手にサヨナラ満塁本塁打を打たれてしまいました。
【プロとは違う社会人野球の魅力】
── 2010年にはコーチとしてかずさマジックを都市対抗、日本選手権に導きました。さらにセガサミーの監督として、2014年の日本選手権準優勝、2018年の都市対抗ベスト4を達成。森脇亮介投手(2018年西武ドラフト6位)をはじめ、プロ選手も育てました。
初芝 社会人野球は、まずは「都市対抗出場」しか考えていないですね。とにかくこの大会に出るために、みんな一生懸命練習していると言っても過言ではありません。
── プロ入り前の東芝府中、そして直近ではオールフロンティアの監督も務めました。社会人野球の魅力はどんなところにありますか。
初芝 いい大人が、本当に泥臭く、常に全力でプレーする。その姿こそが社会人野球の魅力だと思います。なかでも象徴的なのが都市対抗の予選ですね。単なる野球の試合というより、会社と会社が野球を通して戦っている感覚です。選手たちはみんな、会社を背負ってグラウンドに立っている。そこがプロ野球との大きな違いだと思います。
── 都市対抗と日本選手権での好成績は、指導者としての手腕だと感じます。指導の根底には何があるのですか?
初芝 こちらが伝えたことを、選手たちが素直に実行してくれたおかげです。そして何より、本人たちが納得したうえで取り組まなければ、技術は身につかないと思っています。
── 具体的にはどんなところですか?
初芝 私の世代は、理由を説明されることもなく、ひたすら「やれ」と言われて育ってきました。「量から質が生まれる」という考え方の時代だったと思います。一方で、今の選手たちは、そうした環境で育ってきてはいません。「これができるようになったから、次はこういう打ち方をしてみたらどうかな」といった具合に、一つひとつ確認しながら進めていく必要があります。技術の"質"をきちんと伝えていくことが、指導の根本にあると感じています。
── 豊富な監督経験を踏まえ、ロッテのサブロー新監督に期待することは?
初芝 秋季練習から「量をこなす」ことに取り組んでいるのは、報道でも目にしてきました。これからは、そこにどんな"質"を加えていけるのかが問われると思います。何より大切なのは、指導者が選手と一緒になって取り組んでいくこと。そうした姿勢で進んでいってほしいですね。
初芝清(はつしば・きよし)/1967年2月26日生まれ。東京都出身。二松学舎から東芝府中に進み、88年のドラフトでロッテから4位指名を受けて入団。95年に打点王、ベストナインを獲得するなど、強打の三塁手として活躍。ロッテ一筋17年、「ミスター・ロッテ」「幕張のファンタジスタ」としてファンに愛され、2005年に現役を引退。その後、社会人野球のコーチ、監督を歴任し、現在は解説者として活躍中