2026年、石川遼は遠くカリブ海に浮かぶ島で始動する。昨年末に米ツアーの予選会を通過し、コーンフェリーツアー(KFT)…

2026年、米下部コーンフェリーツアーでプレーする石川遼がGDOニュースの単独インタビューに登場

2026年、石川遼は遠くカリブ海に浮かぶ島で始動する。昨年末に米ツアーの予選会を通過し、コーンフェリーツアー(KFT)の限定的な出場権を獲得。松山英樹らが主戦場にする世界最高峰・PGAツアーの2部、いわば2軍に相当するツアーに参戦する。1月11日(日)開幕の「バハマ ゴルフクラシック」を控えた渡航前、単独インタビューで心境を語った。(全4回の1回目。聞き手・構成/桂川洋一、服部謙二郎)

【第2回】「シャローイングとハンドパス」スイング改造の経緯と自信 /石川遼インタビュー

昇格条件は?米下部コーンフェリーツアーをおさらい

“3部”でも行っていた

年明けの寒さが一時、和らいだ東京の昼下がり。出発を2日後に控えた石川の口調は軽やかだった。「年末年始は家でゆっくりしました。今は…楽しみっすね、楽しみ。本当に楽しみ。100%、もう楽しみだけかな」。2008年に16歳でプロ転向してから迎える19年目のシーズン。自ら選んだ新天地での戦いが待ち遠しい。

昨年12月、石川は米アリゾナ州での2次予選会(セカンド)を突破し、翌週フロリダ州で行われた最終予選会(ファイナル)を34位タイで終えてKFTの出場資格を得た。PGAツアー出場権につながるトップ5を逃しても、「結果は100点」と言えた。

「予選会の最後にパーパットを決めた時、キャディとコーチ、現場のマネジャー4人でハイタッチをしたんです。直接行ける5枠に入れれば、もちろん130点だった。そこに入れず残念でした…という見方も(世間では)多いんですけど、セカンドを通った時点で、PGAツアーアメリカズ(KFTの下部に属する3部ツアー)には出られる。試合数が少なくても、3部ツアーでやってやると思っていたので」

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昨年12月の予選会を通過して海外ツアーに再挑戦

21年、24年に続く3度目の挑戦で初めてたどり着いたファイナル。最終関門に向かう選手たちの雰囲気は、2次のそれとは少し違ったという。

「PGAツアーのシードを落とした選手から、翌年のKFTのフル出場権を持ちつつPGAツアーに行ける5枠だけを狙う選手もいた。だから初日から(イチかバチか)ガンガン攻める空気で、レベルも高かった。3部から上がってきた選手も、マジでうまいんですよ。去年、3部で3勝した選手がいきなりPGAツアーで勝っちゃったじゃないですか(10月のユタバンク選手権に推薦出場したマイケル・ブレナンが優勝)。そんなポテンシャルを持っている選手がゴロゴロいる」

初日64位の出遅れから2日目に巻き返し、最終的に34位タイに入った。最終日は1アンダー「69」。後半11番までに2ボギーを叩いた後、3バーディを奪って必死に挽回した。

「(11番で)短いパーパットを外して流れが悪くなった。『これはキツイ。残り5ホールを3アンダーくらいで回らないといけない』と思ったところで、14番(パー3)から3連続バーディが獲れた。上がり2ホールは左サイドがずっと池で難しい。2ホールともティショットを右にプッシュアウトして、パーオンできず、這いつくばってパーで終わったというのがリアルなところでした」

スイングよりも大切なこと

ボーダーライン上で綱渡りしながら、晴れてKFTの出場権を手にした。下部ツアーとは言え、再び海の向こうでプレーできることを喜ぶ。しかし、予選会は自らの問題点が明確になった2週間でもあったという。「自分の実力が分かった」。そう言葉にした表情には落胆が色濃くにじむ。ファイナル最終日、前半6番の記憶が、いまも苦々しく頭にこびりついている。

「右サイドの池にだけは入れたくないと思って打ったら、池のさらに右に飛んで行った。幸い、1罰打の後に池の対岸から打てることになって、残り215ydくらいからグリーンにのせて3オン。6mのパットが入ってパーだった。一緒に回った選手は3パットボギーでしたから、もうあきれ顔で…。でも、僕のティショットは狙いよりも100yd以上も右に飛んだわけです」

「僕の中には、“自分はスイングが悪い説”がずっとあって。『結果が良くないのは、スイングが悪いからだ』と、いつも思ってきた。その改善に5、6年かけてきた。スイングのカタチはおととし(24年)くらいには目指すところに来ていて、自信もある。でも結局、今回だって大事なところでとんでもなく曲がる。もうそれは、一回のスイングの問題ではない。練習場で100球ミスしたって、そんなに(試合ほど)ひどい球にならないんですよ。スイング以上に、打つ前の集中力やイメージの出し方というか、“ピクチャー”というか…。技術よりも、インパクトでの思い切り。もっと言うと、ポジティブな意味での“あきらめ”や開き直り。結局は、自分が決めた通りに打ち切ることが試合でも求められる」

2020年の春に田中剛コーチに師事し、「スイングのコンプレックス」(※インタビュー第2回で解説)解消に時間をかけて取り組んできた。「スイング自体は15、16年前よりも今の方が良いんです」と思える。エラーが出た箇所をすぐに自覚できる実感もある。それでも、成績で言えば18歳で賞金王の座に就いた頃のような輝きはない。その理由のひとつもマインドセットにある。

「なぜ、当時は勝てたのか。あの頃の僕にはピンしか見えていなかった。迷いがなかった。とにかくドライバーで攻めて、最少打数でカップに入れることだけを考えていた。だから正直なところ、試合によっては『このコース、マジで楽しくないわ。ドライバー、打てないじゃん。ヤル気が出ねえ』なんて思うこともあったんです」

「ハマれば強いけれど、ハマらなければ、すぐダメになるゴルフ。ただ、それではアメリカのタフなセッティングではもたない。今回、予選会を通れたのも、難しくて狭いコースで、じっとガマンしながら『ずっとパーでもいい』と考えてゴルフをし続けたから。15、16年前にそれはできなかった。ガマンは退屈だけど、いまはそれも楽しめる。つまらないゴルフも、前向きにできるのは今かなって。それも自分で気づけたQスクールだった」

<2021年>「自分のゴルフを強くするために」 米下部ツアー挑戦決意

<2022年>道半ばのスイング改造 石川遼の苦悩の行方は

8年前、下部ツアーから逃げた

弱かった自分を認める

石川は2013年から5シーズン、PGAツアーのメンバーとしてプレーした。17年の秋、当時の入れ替え戦でも出場権を守れず、日本ツアー復帰を選んだ。当時、保持していた下部ツアーの出場権を放棄して。8年前の自分を、どう思うのか。

「あの時、自分の中には下部ツアーに行く選択肢はなかった。どん底を味わった気持ちだった。いま考えたら、全然どん底じゃないのに…。10代の頃、僕は『自分にはこの強みがある』とも思えなかったけれど、“根拠のない自信”だけはあったんです。その根拠のない自信もなくなった。それに、当時のウェブドットコムツアー(KFTの前身名称)よりも、日本ツアーの方がレベルが高いとすら思っていた。思い込んでいた」

翌18年から昨年まで、海外ツアーへの出場はスポット参戦に限られた。34歳になった今だからこそ、戦況も、若かりし頃の自分も冷静に眺められる。

「(PGAツアーのシード喪失は)返ってきたテストの点数は赤点なのに、『オレは本気を出したら、いつでも90点、100点を取れるから』みたいな。2017年のメンタリティはそんな感じだったかなって。良い成績が出なくても、『オレはPGAツアーにいられるはずの男なんだ。こんな結果を残している場合じゃないんだ』って。現実を受け入れたくない、そういう“おごり”と逃げが共存していて、謙虚さもない、自分のことを客観的に見られなかった」

「ゴルフって、自分のピーク(最高潮の調子)をベースに考えると苦しくなるんです。一番良かった1試合をベースに『オレにはあれぐらいのプレーができる』と思うのはいい。でも、『平均的にあのくらいのプレーが出せる』と勘違いすると、どんどん自分の首を絞めることになる。(17年当時は)頭で描く自分のゴルファー像がどんどんうまくなって、本当の平均の自分が追いつかない。アプローチを一回ミスしただけで“バグっちゃう”。ミスを受け入れられないメンタルで打つゴルフってかなりきつい。でも、そういうことが実際に起こっていた。ピーク時の成績をフラットに見て、『うまくハマった。運も良く、全てが重なった結果だった』と一歩引いて、落ち着いた目で見る姿勢がなかったんです」

現実を受け止めきれなかった、あの頃の自分。それを8年経って言語化できるようになった。様々な弱さを内包して石川は再び海を渡る。現実的にはシーズン10戦目終了時のリシャッフル(出場優先順位の入れ替え)を突破することが最初のターゲット。

「攻めのジャッジだろうが、守りのジャッジだろうが、最終的には自分の欲との闘い。攻めるなら攻めるで、怖がっちゃいけない。守るなら守るで、バーディを獲りにいっちゃいけない。最後まで決めたことをやり切るのがテーマ。それだけを1 年間やり続けたい」

協力/RIVERSIDE CLUB

インタビュー第2回は2020年から取り組んできたスイング改造について語る。

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