慶大・常松広太郎、カブスとマイナー契約へ カブスとマイナー契約で合意した慶大・常松広太郎外野手が、着々と渡米の準備を進め…
慶大・常松広太郎、カブスとマイナー契約へ
カブスとマイナー契約で合意した慶大・常松広太郎外野手が、着々と渡米の準備を進めている。2025年春の東京六大学野球リーグ戦で3本塁打を放つなど、大器の片りんを示してきた22歳。プロ志望届を提出して臨んだ10月23日のドラフト会議で、NPB球団からの指名はなかったものの、直後に海の向こうからオファーが届いた。
世間が受けた衝撃はそれだけではない。ドラフト会議から1週間後。慶大野球部は4年生部員の進路を公式サイトで公表し、ひときわ目を引いたのが、常松が内定していた米金融大手「ゴールドマン・サックス(GS)」だった。
「大学3年の夏に就職活動をして、インターンにも行っていました。秋から冬にかけて、12月や1月にいくつか内定が決まっていたんです。GSも内定していたうちの1社でした」
慶大3年春にリーグ戦デビューして規定打席にあと1と迫る活躍を見せながら、秋は出場なし。就職活動で十分な練習時間が確保できていなかった背景があったのである。ただ、その時期には米金融大手を含む複数の一流企業から内定を勝ち取っていたのだ。
慶大4年時に4番を務めた長距離砲の経歴は異色だ。小1で硬式野球を始め、小3から小6の4年間は父親の仕事の都合で米ニューヨーク州で生活しながら野球を続けた。米国滞在中はアメリカンフットボールやバスケットボールなど他競技にも挑戦していたという。
中学入学に合わせて帰国し、神奈川・慶応湘南藤沢の中等部、高等部で野球部に所属。「プロは本当に考えてなかったです。ただ、大学までは野球をやりたいと思っていました」。慶大でも野球部に入部。幼少時に神宮球場で観戦した早慶戦で憧れを抱いた「KEIO」のユニホームに袖を通した。
1年春のフレッシュリーグの明大戦では代打で投ゴロ。「球が速すぎて、バットを折られました。なんでこんな投手がリーグ戦で投げてないんだと思いました」。対峙したのは同学年の大川慈英。当時から球速は150キロを超え、2025年のドラフト1位で日本ハムに入団した右腕だけに「後から考えたら結局ラスボスだった」と振り返った。
大学の試験は仲間と共闘…TOEICは衝撃の満点
1、2年時はリーグ戦出場なし。3年春、4年の春秋で計37試合に出場したが、学業も疎かにすることはなかった。特に年に2回ある試験は集中して臨んでいたという。リーグ戦後の時期でもあり、試験の日程や科目数に合わせて野球部の練習量を調整していた。
常松が在籍したのは法学部政治学科。「テストができれば単位を取得するのは難しくなかった。出席が足りないと留年もありますけど、僕の周りでは普通にやっていて留年するやつはいませんでした」。事もなげに説明したが、そこまで簡単ではないのも事実だ。
試験期間中は同じ科目を履修しているチームメートとともに勉強。試験前日は徹夜することもしばしばあった。「何人かで一緒に頑張りました。楽しくみんなで徹夜して勉強して、そのまま大学に行って単位を取るんです」。試験勉強は苦ではなかった。
「メッチャ楽しかったです。野球だったら誰かがスタメンで出て、誰かがベンチになりますけど、勉強はみんなで戦ってやっていく。試験の期間は、僕は大好きでした」
野球と学業の両立の中でも、英語は得意分野。3年時の就職活動前には英語の資格取得のため、TOEICの試験を受け990点、何と満点を記録したのだ。「TOEICは比較的、優しい資格です。もっと難しいのだと『TOEFL iBT』とか『IELTS』もある。僕より英語ができる人は、周りにいっぱいいます。今後ももっとレベルを上げたい」。満点でも、決して満足はしていない。
もちろん英会話に大きな不安はない。その下地は、小学生時代に米国で過ごした4年間でできているという。加えて「帰国子女が多い」という慶応湘南藤沢時代の授業で「スキルアップできました」と話す。
安定した就職を捨て、競争が激しい米球界への挑戦を選択した22歳の秀才長距離砲。普段のコミュニケーションに何の問題もないのは大きなアドバンテージだ。持ち味の力強い打撃と語学力で、新たな道を切り開いていく。(尾辻剛 / Go Otsuji)