仰木監督から有無を言わさぬ引退「お疲れさんでした」 近鉄の伝説の4番打者・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営…

仰木監督から有無を言わさぬ引退「お疲れさんでした」

 近鉄の伝説の4番打者・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)はプロ16年目の38歳、1989年シーズン限りで現役を引退した。自分から申し出たわけではない。3連勝4連敗で敗れた巨人との日本シリーズ終了から数日後に仰木彬監督から大阪市内のホテルに呼び出され、いきなり両手を握られ「長い間、お疲れさんでした」と言われて、察したという。その日は夕方から飲み始め、泣いて、酔っぱらったそうだ。

 仰木近鉄になった1988年から栗橋氏の出番は極端に減った。12年ぶりに開幕スタメンから外され、開幕3戦目の代打でシーズン初出場。以降も代打が増えた。それでも懸命に与えられた仕事をこなしたが、レギュラーの座に戻されることはなかった。西武と争い、連勝すれば優勝だった10月19日のロッテとのダブルヘッダー(川崎)、近鉄は1勝1分で涙をのんだが、その2試合も、いずれも代打起用で2打数無安打だった。

「あの時、ロッテは近鉄に優勝させてもいいと思っていたんじゃないかな。ずっと西武ばっかりだったしね。でも、ウチがムチャクチャ(ロッテを)ヤジったんだよね。村上(隆行内野手)なんか泣きながらヤジっていたもんなぁ。なんでかは知らないけどね。俺はもう自分のことを考えていたから。もう引退かなとかね。なんか冷めていた。だから冷静に見れていたんだけど、みんなは冷静に見れていなかったもんね」と複雑な思いでもいたようだ。

 結果的に、そのオフには引退話が起きることなく、現役続行。「40歳までやりたい」という目標も持って、プロ16年目の1989年シーズンに臨んだ。しかし、状況は変わらなかった。やはり代打がメインだった。そんな中、6月4日の日本ハム戦(藤井寺)では6回に佐藤誠一投手から代打逆転満塁2号本塁打を放った。ストレートをとらえて右中間スタンドに運んだ。

「佐藤はフォークボールがいいし、真っすぐもまあまあ速かったから難しかったけどね。やっぱりちょっとでもフォークを頭に置くと真っすぐに詰まる。でもフォークも頭に置かなきゃいけない。その割にはうまく、気持ち“おっつけた”ような感じで打てた。だから右中間に飛んだよね。あれが(ストレートと)決めつけていたら、もっとライトの方に飛んでいたかもしれないけどね」。技あり、パワーありの一撃で健在ぶりを見せつけたが、事態好転までには至らなかった。

シーズン最終戦で“奇妙な采配”「仕返しかと思った」

 この年の本塁打は2本。終わってみれば、この代打逆転満塁弾が現役ラストの通算215号アーチになった。前年(1988年)の10・19の雪辱に燃える近鉄は10月14日のダイエー戦(藤井寺)に5-2で勝利し、9年ぶりのリーグ優勝を決めたが、栗橋氏は9月30日から10月14日まで1軍出場なし。V決定日には球場に呼ばれて歓喜の瞬間を見届けたが「あの時は金を貸して返さないヤツがスタンドにいたから、そいつを追いかけなきゃって思ったのは覚えているけどね」と笑った。

 翌10月15日はシーズン最終の西武戦(藤井寺)。栗橋氏は「4番・指名打者」でスタメン起用された。最後は指名打者解除で右翼の守りにもついた。この時点では引退を覚悟しながらも、自分から“辞める”と言うつもりもなかったそうで、まるで引退が決まっているかのような仰木采配には、むしろ戸惑ったという。

「最後もありがたいライトじゃなかったよ。グラブなんか持ってきてなかったし、守らせてポロっとさせて恥をかかせるためじゃないかと、俺はそういうふうに受け取ったよ」。栗橋氏は1987年の宮崎・日向秋季キャンプで練習でのプレーを巡って、仰木監督とグラウンド上で口論したことがあったが「あの日向の仕返しかと思った。あの人の性格を俺はよく知っている。しぶといよ。執念深いし、ねちっこいんだから」とも口にしたほどだ。

 そんな処遇が微妙なまま、栗橋氏は巨人との日本シリーズに突入した。出番は1打席だけ。第6戦(10月28日)に1-3の9回裏1死から代打で登場して、巨人・水野雄仁投手の前に三振に倒れた。「フォークボールばっかりだったね。真っすぐを放ってこいや、根性ないなと思ったよ」と振り返ったが、それが現役ラスト打席になった。3連勝しながら4連敗で近鉄が日本一を逃したシリーズが終わってから数日後に引退が正式に決まった。

「(大阪市)阿倍野のホテルに呼ばれて行った。会議室みたいな、長いところだったけど、入ったら、仰木さんが向こうから小走りで来て、俺の両手をつかんで『クリ、長い間、お疲れさんでした』って。それを言われて、ああ、俺、辞めるんだぁって思ったね」。仰木監督がいきなりの「お疲れさん」で有無も言わせなかった形だ。栗橋氏は「というか、向こう(仰木監督)もちょっとビビっていたんじゃないかなぁ。変なことをしたら俺に殴られるからね」と笑いながら話したが、その時はショックの方が大きかったそうだ。

「40まではやりたいというのがあったからね。あまり、いい終わり方じゃなかったよね。藤井寺に帰ってきてから泣いたよ。知り合いが飲みに連れていってくれて(午後)5時くらいから飲んで、泣いた。酔っぱらった。もうベロベロになったよ」

 通算成績は1550試合、1301安打、打率.278、215本塁打、701打点。数字以上にインパクトのある豪打が光った。阪急・山田久志投手をはじめ、敵のエース級投手を次から次へと打ち崩した。恩師の西本幸雄監督とさえ喧嘩するなど、数多くの豪傑伝説も残した。最後の仰木監督との“対立構図”もある意味、らしさ全開だったといえなくもない。さらには近鉄愛も人一倍。チームのために闘い続けた栗橋氏は無念の思いも残しつつ、ユニホームを脱ぎ、バットを置いた。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)