「プロレス・新日本」(4日、東京ドーム) 新日本プロレスの1・4東京ドーム大会が行われ、引退試合に臨んだエースで社長の…

 「プロレス・新日本」(4日、東京ドーム)

 新日本プロレスの1・4東京ドーム大会が行われ、引退試合に臨んだエースで社長の棚橋弘至(49)は、元ライバルで米AEW所属のオカダ・カズチカ(38)に敗れた。試合後の引退セレモニーではかつてのライバルたちがリングに登場して、花束を贈呈。4万6913人超満員札止めのファンの大歓声を浴び、“100年に一人の逸材”が26年間にわたるプロレスラー人生に終止符を打った。

 悲願だった超満員の東京ドームの光景を涙でにじませながら、棚橋がリングに別れを告げた。33分を超える激闘の末、3発目のレインメーカーを食らって大の字となった。浮沈を味わったプロレス界と一体化したように苦楽を経験した“100年に一人の逸材”は、完全燃焼で万感を込めた。

 「僕が新日本で夢見た超満員が見られました。ありがとうございました。今日僕は引退しましたが、これからも新日本プロレスの選手は全力で戦っていくので、応援よろしくお願いします」

 デビューから9583日の激闘で両膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂するなど計8本の靱帯のうち3本しか残っていない。満身創痍(そうい)の四肢に最後のムチを打ち、コーナー最上段から場外にハイフライアタックも決行。柴田勝頼のPK、中邑真輔のボマイェとライバルだった盟友の代名詞を繰り出した後、必殺技ハイフライフローを敢行したが、3カウントを奪えなかった。

 26年前、憧れだった新日本の門をたたいた。大学2年で初めて入門テストを受け、課題はクリアしたものの不合格。雪辱に燃えた2度目は体調不良で棒に振り、3度目はテスト前日、立命館プロレス同好会後輩の都内の実家に泊まり、高麗人参まで飲む執念で夢の切符を勝ち取った。

 99年10月10日のデビュー以来「太陽の天才児」として照らし続けた一方、苦難も多かった。2002年には刺傷事件に遭い衝撃を与えたが、乗り越え再起。動員が落ち込んだ“暗黒時代”も自身のスタイルを貫いて新たなファン層を耕した。06年のIWGPヘビー級王座初戴冠の際、支えてくれたファンや団体に「愛してます」と心の底からの声をはき出した。それが決めゼリフとなった。

 同期入門で現在スタッフの井上亘さん(52)は「棚橋選手のすごさはプロレス、新日本を愛し続けたこと。新日本に愛を持ち込んだのはある意味、革命ですよね」という。猪木が掲げたストロングスタイルに新たな息吹を吹かせた革命児は「愛してま~す」と最後まで明るくさわやかに去り、社長として新たな闘いに挑む。

 ◇棚橋弘至(たなはし・ひろし)1976年11月13日、岐阜県大垣市出身。立命館大学3年だった98年2月に新日本の入門テストに合格し、卒業後の99年4月に入団。同年10月、真壁伸也戦でデビューした。06年7月にIWGPヘビー級王座を奪取し、通算8度戴冠は歴代最多。夏の祭典G1クライマックスは07、15、18年に優勝するなど団体の低迷期から「エース」として“V字回復”をけん引した。23年12月に新日本の社長に就任。得意技はハイフライフロー。181センチ、103キロ。