アポカリプス――聖書の黙示録のいう「世界の終末」。スウェーデンとのプレーオフに敗れ、W杯出場を逃したイタリアでは、…

 アポカリプス――聖書の黙示録のいう「世界の終末」。スウェーデンとのプレーオフに敗れ、W杯出場を逃したイタリアでは、新聞の見出しにも、ネット、テレビでもこんな言葉が飛び交っている。

 この60年途絶えることなくW杯に出場し、4度も世界の頂点に立っているカルチョ王国にとっては、まさに世界が崩れ落ちんばかりのショッキングな出来事だった。試合後、ジャンルイジ・ブッフォンはカメラの前で男泣きしながら「社会全体の大きな破綻だ」と述べた。「親父どころか、爺ちゃんさえもイタリアが出場しないW杯を知らないっていうのに!」「いったい来年の夏をどうやって過ごしたらいいんだ!」と、SNSにも悲痛な叫びがあふれている。



スウェーデン戦後に男泣きし、代表引退を発表したブッフォン

 いったい、どうしてイタリアは世界の終末を迎えてしまったのだろうか。

 今回のW杯予選、確かにイタリアの組み合わせはツイていなかった。同じグループにはスペインがいたし、プレーオフでは対戦相手の中で一番厄介なスウェーデン(その他はギリシャ、北アイルランド、アイルランド)を引き当ててしまった。

 しかし厄介な相手とはいえ、ここ2大会W杯出場を逃し、ズラタン・イブラヒモビッチもいなくなったスウェーデンを、イタリアはどこか侮っているところがあった。それがプレーオフ第1戦の、のちに致命傷となる失点につながってしまった。イタリアはこれでホームでの第2戦、2-0以上で勝利しなければならなくなってしまった。

 背水の陣で臨んだサンシーロの雰囲気は素晴らしかった。イタリアの代表戦でこれほどの熱さを感じられたのは久々のことである。スタジアムを埋め尽くした7万2000人のサポーターは選手たちに寄り添い、心からの声援を送っていた。試合前、スポーツ紙が行なった意識調査では75%の人がイタリアの勝利を懐疑的に見ているとのデータが出たが、それでも心のどこかでは信じていたはずである。イタリアがW杯を逃すことなどあるわけがない――と。

 選手たちの闘志も最高だった。まるで怒鳴るような大声でイタリア国歌を歌う選手たちからは、悲壮なまでの決意が感じられた。カルチョ王国の伝統を自分たちで途絶えさせてはならない――。そしてその通り、彼らは全身全霊を込めて自分たちの持てる最大限の力を出して戦った。

 しかし世界の終末は来てしまった。90分間どんなに攻め立てても、イタリアはスウェーデンからゴールをもぎ取ることができなかった。手を抜いたり、大きなミスを犯して負けたならまだ言い訳はできただろう。しかし、イタリアは全力を尽くしても勝つことができなかった。最悪だ。

 つまり、今のイタリアはどんなに頑張ってもW杯の切符には手が届かないチームということなのだ。

「イタリア崩壊、予選敗退はいったい誰のせいなのか?」

 こんなタイトルを掲げ、イタリアのマスコミは戦犯探しに余念がない。多くの人々は最大の戦犯に監督であるジャンピエロ・ヴェントゥーラの名前を挙げている。確かにヴェントゥーラは代表監督の器ではなかった。ビッグチームを率いた経験も国際経験も乏しく、古臭い戦術に固執する。選手起用の仕方も不可解で、代表監督の座に就いてからの彼はまさに”迷走”という言葉がぴったりだった。そんな監督に、最後まで選手たちも全幅の信頼を置くことができなかった。

 そんなヴェントゥーラを代表監督に据えたサッカー協会にも問題がある。彼らはヴェントゥーラの器量不足が露呈しても、監督をすげ替えることに躊躇していた。

 そして選手たち。前にも述べたが、彼らが一生懸命だったのは疑いようもない。でも、そこまでだった。サンシーロの試合でも彼らのプレーの精度は悪く、5メートル先のチームメイトにもパスを通すことができなかった。

 現在のアズーリの選手たちは、ここ十数年で最低の質であると現地の記者たちは言う。ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティの後に続くようなスター選手も存在しない。本物のカンピオーネたちもいることはいるが、すでにみんなサッカー選手としては年寄りの域に入ってきている。実際、今回の予選を最後にブッフォン、アンドレア・バルザーリ、ダニエレ・デ・ロッシなどが代表引退を表明している。

 イタリアサッカーの「終末」。それはなにも今ここで始まったわけではない。黙示録によると、「終末」の前には7度ラッパが鳴らされるというが、警鐘はすでに何度も打ち鳴らされてきた。実際に、2010年、2014年のW杯本大会でも、イタリアはグループリーグで敗退していた。

 優秀な選手が育たないのは、明らかにイタリアサッカーを取り巻く状況に原因がある。イタリアにはイタリア人選手を育てる場所がないからだ。確かに優秀な選手を安価で手に入れるための手段として、若手育成への関心は数年前から高まってはいる。例えば、インテルなどは多額の資金をユースチームに投入し、年代別の大会で優勝を果たした。

 しかし、トップチームの主要選手がほとんど外国人であれば、イタリア人選手の育成は無意味だ。たとえ優秀な選手が育ってきたとしても、今のイタリアのクラブチームにはイタリア人の居場所がない。いわゆるビッグチームと言われるクラブは外国人だらけだ。それでもクラブチームは、イタリアサッカーの将来よりも、今の勝利を重視する。

 もちろん、こうした状況に危機感を抱いている者はいる。前イタリア代表監督のアントニオ・コンテは、どうにかクラブチームのやり方を変えようとしたが、それが不可能であることを知り、ベンチを去った。ほかにも多くの監督やマスコミが警鐘を鳴らしていたが、それでもイタリアの改革は遅々として進まない。何十年も前の地震で崩れた家が、そのままの姿で残っているのと同じだ。

 こうしてイタリアは、ただ過去の栄光にすがるだけの存在に成り下がってしまった。イタリアサッカーの停滞ぶりは、データからも読み解くことができる。一例を挙げると、代表での得点ランキング。トップ10に名前を連ねるのは、いずれも過去の選手ばかり。いまだ1位に輝くのは、60年代から70年代にかけて活躍したジジ・リーヴァなのだ。

 ただひとつだけ、この「終末」にも効能はあるかもしれない。

 これほどの国を巻き込んでの大失態に、改革を先延ばしにしてきたサッカー界も、今度ばかりは真剣に行動に出ないわけにはいかないだろう。そうでなければ、イタリア国民は納得しない。過去の栄光もかなぐり捨てて、新たなカルチョの国をリセットする。今回のアポカリプスから得られるだろう、唯一の救いである。