サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、忙しかった正月の記憶。

■読売クラブを抑えた「気迫」

 ようやく除雪が終わり、キックオフは3時45分と伝えられた。読売の選手たちは更衣室に入って準備を始め、試合に備えた。そのころ、トヨタの選手たちは、背中から湯気を上げ、肩で息をしながらユニフォームに着替え、与那城のドリブルにどう対応するか、声高に話し合っていたに違いない。

 この試合、今井さんは「予想」に従って読売が攻めるゴール裏に位置し、私は再び標準レンズ付きの1台のカメラとともにトヨタの攻めるゴール裏に陣取った。ゴール裏にはピッチ内からかき出された雪が積まれており、座り込むことができないのを見たトヨタスポーツセンターの職員が、折りたたみイスを持ってきてくれた。

 そしてこの試合唯一のゴールは、私のカメラに収まったのである。前半終了間際、トヨタはPKを得、キャプテンの泉政伸が冷静に左隅に決めたのだ。読売が圧倒的に攻めるのではないかと思われた試合だったが、トヨタの選手たちの気迫は鬼気迫るものがあり、激しいタックルにリズムを壊された読売は効果的なパスをつなぐことができなかった。

 驚いたのは、トヨタの選手たちの底知れぬ体力だった。試合前に何時間も除雪作業を行ったとは思えないほど、走り、戦った。そのプレーぶりを見ていて、トヨタの選手たちが除雪作業をしている間に談笑していた読売の選手たちの姿が重なった。キックオフの瞬間、ピッチに立ったときに、すでに勝負は決していたのではないかと思った。

■見せつけた「1部リーグの力」

 それにしても、気温が0度台になろうかという時間に、雪の中に埋まるようにうずくまっているのは寒かった。耐えることができたのは、23歳という若さだったからに違いない。もうすぐ「後期高齢者」になろうとしている今、そんなことをしたら、おそらく、「事件」になってしまうだろう。

 1月13日、3時45分のキックオフである。前半が終わる頃には薄暗くなり、後半は気温0度、完全に夜間の試合だった。5時半過ぎに試合が終わると、私と今井さんはすぐに片づけ、名古屋駅に向かった。今井さんは本当に付き合いのいい人で、「ひかり」で帰ればいいものを、私といっしょに「こだま」に乗ってくれた。幸い、友人には連絡がついていたので、予定より数時間遅れて三島駅につくと、奥さんと一緒に車で迎えに来てくれていた。ようやく寒さとお別れだ。

 1週間後の1月19日、東京の西が丘サッカー場では、12時から富士通×永大、14時から読売×トヨタの「ダブルヘッダー」が行われた。永大は再び中村が2点を決めて3-1で連勝、悠々と1部の地位を守った。そしてトヨタも、この試合では前半に2点を先制し、3-2で押し切って読売に「1部の厳しさ」を見せつけた。

■「こんな写真の使い方、見たことない!」

 ところで、私が平生で「撮ったぞ!」と心の中で叫んだ写真である。私は、GKがジャンプしていて、ボールがゴールに入る瞬間をとらえたと思っていたのだが、東京に戻って現像されてきた写真を見て、大いにがっかりした。望月もGKもボールも、そしてゴールの枠も入っていたのであるが、ボールは右足を振った望月から数メートルしか飛んでいなかったのである。GK高田はまさにジャンプしようとしている瞬間。つまり、おそらくほんの数分の1秒ほどシャッターが早かったのである。

 もちろん、今井さんが使う「モータードライブ」付きのカメラで連続撮影していれば、決定的な瞬間の写真となっただろう。しかし私が渡されたのは、シングルシャッターしか切れず、1枚撮ったらレバーを回してフィルムを1コマ分送らなければならないものだった。

 だが、グラビアページをつくるのは、「駆け出し編集者」と言っても、私の独断である。もちろん、今井さんが撮影した永大の中村道明の写真を大きく扱ったが、私は、その下に、自分で撮った望月のゴールシーンも入れることを忘れなかった。しかもその写真は、縦4センチに対して横はページいっぱい、16.5センチもあるものだった。

「こんな写真の使い方、見たことない!」と、今井さんが怒ったのは、2月の中旬、『サッカー・マガジン』の1975年3月号が店頭に並んでから。後の祭りである。

 こうして、51年前の私の「寒くて熱い冬」は終わったのである。

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