サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、忙しかった正月の記憶。

■山陽新幹線の「終点」は岡山

 枚方の次は平生である。山陽新幹線は2か月後、この年の3月10日に岡山から博多まで開業し、一挙に九州まで行けるようになったが、この取材時点では岡山が終点だった。

 永大の「ホーム」は、山口県の瀬戸内海に近い平生町の永大の工場敷地内にあった。「スタジアム」というより「サッカー場」と呼んだほうがいいところで、両タッチライン沿いの中央部に5段ほどの観客席があるだけで、もちろん屋根などなく、試合時には「メイン」側に何張りかのテントを建てて本部やベンチなどにするといったシロモノだった。

 平生町の最寄り駅が、車で15分ほど、山陽本線の柳井駅だった。岡山で1泊し、早朝に山陽本線で出発。岡山から片道数時間はかかっただろう。広島を過ぎると、山陽本線は海際を走る。進行方向左手に冬空に似合わぬ穏やかな瀬戸内海を見ながら今井さんとおしゃべりしていたら、「遠い」と思う間もなく柳井に到着。タクシーでグラウンドに向かった。

 瀬戸内海気候といっても、冬は冬である。とくにこの年の1月、日本は強力な寒気団に覆われていた。風も強かった。

■またたく間に「JSL1部」に

 永大は第二次世界大戦後に大阪で設立された合板製作会社が住宅建設で急成長した会社だった。平生町には子会社である「永大木材工業」の製造拠点があり、サッカー部もその工場内に1969年に母体がつくられ、正式には1971年に永大工業サッカー部としてスタートした。この年に山口県の3部リーグで全勝優勝し、翌1972年は「飛び級」で1部に昇格、同年に一足飛びに「中国社会人選手権」と「全国社会人大会」で優勝を果たす。

 JSLは1972年に10チームによって2部が誕生したが、この年の1部は8チームのままだった。翌1973年に1部も10チームに増やすことにしたため、2部から2チーム、トヨタ自工と田辺製薬が自動昇格することになっていた。その結果、「全日本社会人大会」優勝の永大は、準優勝の帝人松山とともに、入れ替え戦を経ずにJSL2部への昇格を許された。そして2部1年目に優勝を果たすと、1部最下位の田辺製薬との入れ替え戦を1勝1敗(1-2、2-0)で制し、創部から3年、またたく間にJSL1部まで昇り詰めたのである。

■釜本邦茂の「一撃」に屈するも…

 1972年に監督に大久保賢を迎えたのが、急成長のきっかけだった。JSLの創立メンバーでありながら1971年に最下位となって降格すると「廃部」にしてしまった名古屋相互銀行から大久保監督とともに、塩沢敏彦、横山孝治、小崎実など6選手が移籍し、一挙に戦力が整ったのである。

 1974年のJSL1部では前期こそ5分け4敗と無勝利に終わったが、夏にMFにジャイロ・マトス、ジャイール・ノバイス、アントニオ・ペレの3人を補強、4勝1分け4敗と、大きく星を伸ばした。最終的に10チーム中9位に終わり、入れ替え戦出場を余儀なくされたが、天皇杯では新日鉄、藤和不動産、東洋工業を下して決勝に進出し、1975年元日の決勝戦では釜本邦茂の一撃に屈し、ヤンマーディーゼルに1-2で敗れたたものの、ブラジル人3人で構成する中盤はどの試合でも相手を追い詰める力を見せ、すでに「JSLでも上位の力」があることを証明していた。

■脳裏に焼きついた「ゴール」

 1月12日、富士通との入れ替え戦を迎えた永大が自信満々なのは当然だった。戦前の予想でも大差になるのではとまで言われていた。試合が始まると前半のうちに永大がエースの中村道明の2得点でリードし、後半にもジャイロが追加し、楽勝ムードが漂った。しかしその後、永大のGK城山義輝が負傷、高田喜義が交代で入ったが、ウォームアップが十分でなく、直後の22分に富士通のFW望月長治に1点を許し、さらに滝充にも決められて、かろうじて3-2の勝利をつかんだ。

 試合前、「永大圧倒的優位」の予想から、今井さんは永大の攻撃を撮ると決めた。すると今井さんは私に標準レンズ(50ミリ)のついたカメラを1台渡し、これで富士通が攻めるゴールの横に位置するよう指示した。入れ替え戦は何よりも結果が大事である。勝負を左右するゴールの写真がなくては雑誌が困る。今井さんはフリーランスではあるが、たくさんの試合を撮影してきたベテランであり、私は「駆け出し」の記者だった。素直に従った。

 前半は、ずっと私から遠いエンドでボールが行ったり来たりしていた。2ゴールも決まった。寒風のなか、私はガクガクと震えながらゴール裏に座っていた。突然試合が変わったのは、後半の半ばだった。FKから富士通のチャンス。望月長治がペナルティーエリア外でボールを持ったとき、私は「シュート」と直感した。そして彼が右足を振った瞬間、シャッターを切った。

 永大GK高田のセーブを破って、ボールがゴールに吸い込まれる瞬間が、私の脳裏に焼きついた。「撮ったぞ!」と思った。頭はできあがりの写真を思い描くほどクールだったが、体がカッと熱くなり、寒さを忘れた。

いま一番読まれている記事を読む