ミラノ・コルティナ冬季五輪は2月6日に開幕する。4年に1度のビッグイベントに向け、ノルディックスキー・ジャンプ女子の1…

 ミラノ・コルティナ冬季五輪は2月6日に開幕する。4年に1度のビッグイベントに向け、ノルディックスキー・ジャンプ女子の18年平昌五輪銅メダリスト、高梨沙羅(29)=クラレ=がスポーツ報知の単独インタビューに応じた。あでやかな振り袖姿で五輪への思いを語った。選出されれば4度目、20代最後となる氷と雪の祭典へ臨む。(取材、構成=松末 守司)

 目にもまぶしい振り袖に身を包み、新年の誓いを立てた。高梨は、五輪イヤーの幕開けとなる26年の思いを、迷いなく「与えられるパフォーマンス」と色紙にしたためた。振り袖を着るのは「いつ以来だろう」と自身も忘れるくらいだが、自ら持参した2着の中から「こっちかな」。総絞りで青を基調とした華やかさのなかに芯の強さを感じさせる一枚を選んだ。

 普段のジャンプスーツのイメージとは一変、厳かな雰囲気を身にまといながら、確かな口調で決まれば4度目となる大舞台への思いを口にした。その決意こそが4年間、胸に刻み続けてきた飛ぶ理由だ。

 「いつも支えてくれる人たちに楽しんでもらえるようなパフォーマンスを目指して頑張りたい」

 4年前の22年北京五輪は、混合団体でスーツの規定違反で失格となった。今も「乗り越えられてはいない」と自身にも大きな影を落とし、一時は引退にさえ傾いた。その沈む心をすくい上げてくれたのがファンの声。SNSに広がる励ましの言葉の一つ一つを勇気に変え、ジャンプ台に戻った。

 「やめることも考えたが、逃げることになる。応援してくれる人がいることが私の一番の強み。飛び続けることで何かを返せれば」

 4年に1度の五輪。思うような結果を残せてはいない。たった十数秒ですべてが完結してしまう屋外競技は自然を相手に闘う。風の強弱は数秒で変わり、一瞬で積み上げた4年間が崩れてしまう不可抗力の要素が多い。過去、何度もその憂き目に遭ってきたが、「結果には絶対に理由があると思っている。終わりがない戦いだけど、そこを突き詰めることが、私のやるべきこと」と受け止めている。

 昨季24―25シーズンから、足を前後して着地するテレマーク姿勢の飛型点の比重が増した。対応に苦しみ出場14季目で初めて表彰台に立てなかったが、練習だけでなく、私生活でもテレマークを意識し、体に染みこませ改善に取り組んだ。技術一つでも妥協はしない。4年間、膨大な時間を費やし「自分のジャンプ」を追い求めた。「点と点が線になりつつある」

 20代最後の五輪が迫ってきた。今大会から女子もラージヒルが加わり、ノーマルヒル、混合団体と3種目のメダル候補として挑む。「メダルを取らないと見てはもらえない。自己満ではだめ。表彰台に乗っている姿を見せたい」。ジャンプ人生二十数年で培ってきたすべてをかけて、輝くメダルを感謝に変えてみせる。

 ◆高梨の五輪VTR

 ▽14年ソチ大会 直前までのW杯で10勝を挙げるなど圧倒的強さで本番に臨んだ。1回目は100メートルで首位と2・7点差の3位につけたが、2回目は98・5メートルと飛距離を伸ばせず4位。金メダルのフォクト(ドイツ)と4・4点差、3位のマテル(フランス)とは2・2点差だった。

 ▽18年平昌大会 ルンビ(ノルウェー)、アルトハウス(ドイツ)との三つ巴で、W杯総合3位で迎えた。1回目103・5メートルでルンビ、アルトハウスに次ぐ3位。2回目も同じ距離で順位を死守して、ジャンプ女子で史上初の五輪メダル(銅)を手にした。

 ▽22年北京大会 個人NHは1回目98・5メートル、2回目100メートルを飛んだが4位にとどまった。続く新種目の混合団体に佐藤幸椰、伊藤有希、小林陵侑と臨んだ。1回目に103メートルを飛んで暫定首位だったものの、スーツの規定違反により失格。それでも、諦めず2回目も飛んで98・5メートル。結局、日本は4位だった。

 ◆高梨 沙羅(たかなし・さら)1996年10月8日、北海道・上川町生まれ。29歳。小学2年で競技を始め、2012年W杯蔵王大会で日本女子初制覇。上川中、グレースマウンテンインターナショナル、日体大を卒業。五輪は14年ソチ大会4位。18年平昌大会は同種目で日本女子初の銅。22年北京大会は個人、混合団体ともに4位。W杯男女歴代最多となる通算63勝、116度の表彰台。趣味はカメラ。152センチ。