新春BIG対談の実現だ!広島・新井貴浩監督(48)と元阪神監督・金本知憲氏(57)=デイリースポーツ評論家=が“師弟対…

 新春BIG対談の実現だ!広島・新井貴浩監督(48)と元阪神監督・金本知憲氏(57)=デイリースポーツ評論家=が“師弟対談”を行った。ともに広島と阪神のOBで、金本氏は16年からの3年間、阪神で監督を務めて球団の変革に着手。その経験を踏まえ、過渡期のチームを束ねる新井監督に「道は険しいぞ!」と“金本流”のエールを送った。二人の現役時代の思い出も飛び出した、息ぴったりのトークを、じっくりお楽しみください。

  ◇  ◇

 新井監督(以下、新井)「金本さんの経験も踏まえて伺いたいんですけど、若い選手って技術的にガラッと変えることはできますか?僕は何も実績がなかったから、何色にも染まれたと思うんです。でも、鳴り物入りで入団する選手は自分の形があって、プロの世界に飛び込んできますよね。ただ、プロの投手のキレ、制球力はアマチュア時代よりレベルが上がるわけで、そこから打てるようにテクニカル的に変えていくことはできると思います?」

 金本知憲氏(以下、金本)「できるよ」

 新井「根本的に変えることも、ですか?」

 金本「できると思う。パッとコツをつかむ時もあるしね。『あっ!コレでいいんだ!』みたいな。パッと引き出しをもらって『コレか!』みたいな時はある。自分も若い時は迷って、迷ってきたタイプやから。自分のバッティングでコレというものはなかった。どうやって打ったらええんやろ?っていう時間の方が長かったからね」

 新井「タイガースに移籍して3年目に40本塁打を打ちましたよね。浜風を味方にして逆方向に一発を打つような打ち方にして、ガラッと変わったじゃないですか」

 金本「練習だけね。練習は逆方向にずっと打っていた。本当はその前年からバッティングを変えた。36歳の時。40発は37歳の時だから36歳の04年にいろいろ見つめ直して『あ、コレだ、コレは全部基本だった』という話で。その時、一番調子が良かった。でもあの時に、骨折をしてしまって(※注1)。骨折がなかったら40本塁打は達成していたよ」

 新井「技術的には前に行かない、突っ込まない、軸で回転するということを意識しました?」

 金本「そうやね」

 新井「あと何かありました?」

 金本「ステップで前に出ない。回転で(前に)出ないということやね。やっぱりいいバッターは動かないもん。ステップして打ちに行くときも動かないもんね」

 (話題は2人のカープ時代に移り)

 金本「選手の時は、三村さんと7年間やってた。独特だったし僕も若かったから日々、自分のことで精いっぱいだった。(01年に)山本浩二さんが2度目の監督に就任された時は、すごくモチベーションが上がった。気持ちほど、自分の成績は伸びなかったけどね。どちらかと言うと『やらなアカン、やらなアカン』で空回りした」

 新井「金本さんはその頃、孤軍奮闘していましたよね。野村さんや前田さん、主力選手がみんなケガをして金本さんが4番でひとり、打線を引っ張っていました」

 金本「トリプルスリーを達成したのも、確かその頃だったかな(00年)。打率は3割1分5厘、30本、30盗塁で90打点。四球は80個で翌年が128個だった」

 新井「後ろを打つ5番は誰でした?」

 金本「ロペスが多かった」

 新井「じゃあ、相手のピッチャーはロペスと勝負するから、金本さんはたいがい、四球でもいいという攻め方をされますよね。四球が120~130ってめちゃくちゃ多いと思います。5番にいい打者がいれば、もっとすごい成績を残されていたでしょうね」

 金本「後ろが左打者だったら四球が減る。04年に打点王を獲得した時は後ろが桧山やったから。あの時、四球は79個しか取ってない」

 新井「それでも、かなり多いですね」

 金本「いや、俺の中では少ないよ(笑)」

 -打順で言うと、新井監督が金本さんの前を打ったのは2008年。

 新井「その年だけです。あの時はすごく楽でしたね。ヒットさえ打っておけばいい、何とかつないでおけばいいし。逆方向に打っておけばいいなという1番打者のような感覚でしたね。とにかく金本さんにつなげばいいという気持ちだったのですごく楽でした」

 金本「打率、良かったよね」

 新井「腰を骨折しましたが、リーグ最速で100安打に到達したんです」

 金本「あの時、優勝してたら俺、MVPやったね」

 -試合を見ていても、当時の新井監督はいい内容の打撃が目立った。

 金本「セカンドの頭の上を越えるヒットが多かったもんな」

 新井「はい、確かに多かったですね」

 -金本さんは移籍1年目の03年は3番を打った。その時はチーム打撃に徹していたように見えたが。

 金本「僕が勝手にやったこと。阪神の野手にチームバッティングはこうだよ、このケースはこうだよって示して教えなアカンなと思った」

 新井「今となってすごいなと思うんですけど、1番・赤星が出塁して1死一塁で金本さんに回ってきた時、待ち球をしてましたよね。でも、そこで赤星がスタートを切れなかったら、金本さんは赤星に(目配せなどで)プレッシャーをかけて盗塁を促した。1死一塁だったら一塁手がベースに付くので、金本さんのヒットゾーンは広がります。でも盗塁に成功したら一塁手は定位置に戻るから一、二塁間は狭まるんですよね。そういうのを見て、本当にチームのためにという姿勢を貫いているなと思って」

 -ランナーが三塁にいる時はヒット狙いではなく、ショートゴロで1点を取りに行くシーンも多かった。

 金本「一番得意(笑)。追い込まれたらね。そういうことをカープの時に三村さん、高代さんにやらされていた。阪神に来たらそれを教えないとアカンなと思って」

 -現役時代、金本さんはファンからのヤジが少なかった印象がある。

 金本「一番ヤジられたのは久保田と新井監督。ピッチャー久保田のコールで球場が『えー!』となってたからね」

 新井「この僕でも『代打・新井』というアナウンスの時は盛り上がっていましたよ。でも久保田の場合は、スタンドがザワザワして、かわいそうでした(笑)」

 金本「自分も(ヤジは)ケガをしていた時はあったよ。ただ、そこまで大きなものはなかったかな。多少あったとは思うけど」

 新井「全然ないです。僕が10だとしたら金本さんは0・5ぐらいです!」

 (一同爆笑)

 新井「でもそれは結果で周囲を黙らせてきたという証しですよね」

 -金本さんは現役時代、得意な変化球はあった?

 金本「僕は現役時代、フォーク打ちの名人やった」

 新井「でも、チェンジアップが苦手でしたよね?」

 金本「うん、(ヤクルト、巨人などで活躍した)グライシンガーのチェンジアップが苦手だった。(元巨人の)上原のフォークは超一級品だった。その球を打たないと上原には勝てないなと思っていたから、どうやって打とうかなと」

 (続けて)

 「縦の変化はすごく得意だったけど、実を言うと横変化のスライダーはすごく苦手。苦手だから向こうはスライダーで攻めてくる。じゃあ、その球を狙うしかない。あえて狙って、ファウルを打つ。次の球もスライダーがくるとファウルを打つ。相手は『クソッ!』って悔しがるんだけど、俺の中では内心『よっしゃ、これで二度と来ないな』って思ってる。捕手は狙われるのを一番嫌うからね。それが作戦」

 -フォークはどうやって打っていた?

 金本「基本、僕は投手を信用する。上原は制球力があったから『これぐらいの高さに来るな』と信頼して、そこを狙う。逆に失投で真ん中に浮いてきたら打てないけど。でも直球待ちだったら、抜けたフォークはちょうど合うんよね」

 新井「それ、僕です(笑い)」

 金本「同じ投手と1年間で何回も対戦するし、それが5年、10年と続くから化かし合い。だから野球脳がある選手が勝つんだよ。俺の目から見て、新井監督の一番良かったところは、真っすぐに強かったところ。最後まで真っすぐに強かった。40歳になってもね」

 (続けて)

 「新井監督が若手の頃、右の大砲になれると思った。化けるかな?というレベルだったけど鍛えたらイケると思った。なんでか分かる?始動が早かったんよ。投手が動いたら自分も動いて、仕掛けが早かった。これはなかなかできないこと。バッターって絶対に遅れるからね」

 新井「金本さんから『おまえは“間”があるから』と言われました。でもプロ1年目でしたし『間って何?』って思ってました(笑)」

 -いい選手は1年目の段階で判断できる?

 金本「だいたい、分かるね。いい選手だなというのは分かる」

 新井「モノがいいか悪いかは分かりますけど、どこまで成長するのかというのは、分からないですよね。そこで完全に成長が止まっているのか、それともまだ5割の段階なのか、8割まで来ているのかというのは見抜けない。でも、佐々木泰はいいモノを持っているなと感じています」

 -金本さんから見て、昨季のカープの戦いはどう映った?

 金本「(昨年6勝14敗の)森下はもっとできる気はするね。床田が9勝12敗か。森下と床田がもう少し、しっかりしていたらという印象はあるかな。でも先発投手を育てるのは野手だと昔から言われている。しっかり守ってしっかり点を取ってあげる。そうすれば勝ち星も付くしね。防御率も下がっていって自信を付けてという流れがほしいところだろうね」

 -正捕手の坂倉は盗塁阻止率が・181だった。シーズン前の3月に右手中指の骨折もあった。

 新井「骨折がどこまで影響があったのかは分からないけど、少なくとも昨年のような状態では厳しくなる。2月のキャンプではスローイングを含めた動きを見ていきたいと思います」

 -選手への接し方についてですが、打撃コーチがいる中で、監督が野手に直接指導するのはどんな時が多かった?

 金本「若い選手には、いっぱい引き出しがあればいいなと思って(教えることがあった)。僕の時の野手は高山、北條、江越、中谷、陽川とか。好きなようにやって打てるならいいんだけど、打てなかったらどうしてもアドバイスしないといけないし。本人に(ここがダメという)自覚症状があるんだったら、それに気を付けろよっていう感じかな」

 -新井監督は就任4年目。自身の中で変化は。

 新井「3年間監督をやらせてもらって選手たちの、気持ちの動き方の傾向を自分なりに感じることができました。でもプロは結果が全て。結果が出なければ、監督が受け止めないといけない。そこを含め、野球に取り組む自分の考え方やマインドが“自分基準”になっていたことが反省点かなと思います。なので、今年に関しては今までより一歩、二歩引いたところで、少し離れたところで黙って見ておこうとは考えています」

 (続けて)

 「チームには新しい選手がどんどん入ってくるし、今年は昨年のように(各選手に与えられる)チャンスは多くない。限られた場面でいいモノを見せてくれないと、起用するにあたっての優先順位はどんどん後になってくる。そこはやっぱりプロの世界。チャンスが多い時に、いかに自分自身の力でつかめるか。いつも言うように、上達するための“特効薬”は存在しない。野手ならレギュラーをつかみたいだろうし、投手なら1軍での居場所を勝ち取らないといけない。そのためには自分自身を律しながら、強いマインドを持ち続けて継続することが大事」

 -金本さんはまさに、自分自身で超一流選手へと駆け上がった。

 新井「努力を積み上げられた人ですね。最終的には個々が根気強く、やり続けるしかないと思う。“つまみ食い”みたいに『これをやってみたけど、ダメだった』『これもダメだった』というスタンスでは絶対に成長はない。自分がどれだけ突き詰めてやっていくか。選手たちには、そう思いながら取り組んでいってほしいなと思う」

 金本「期待しているよ。頑張って」

 新井「貴重なお話、ありがとうございました。精いっぱい頑張ります!」

 (注1) 04年7月29日 中日戦(甲子園)の延長十二回、岩瀬から左手首に死球。のちに骨折が判明。連続フルイニング出場がストップするピンチを迎えたが、不屈の闘志で出場を続け、8月1日・巨人戦(甲子園)で701試合の日本新記録を樹立。最終的には1492試合まで伸ばし、世界記録を打ち立てた。

 ◆金本阪神の3年間 2015年10月19日、阪神の第33代監督に就任。16年のチームスローガンを「超変革」とし、若手育成と常勝軍団の形成に着手した。就任1年目から投打ともに若手を積極起用して1年目は64勝76敗3分けの4位。FAで糸井が加入した翌17年は若手、中堅、ベテランが奮闘して78勝61敗4分けの2位に躍進した。しかし、3年目の18年は62勝79敗2分けで17年ぶりの最下位に沈んだ。3年間のドラフトでは坂本、青柳(現ヤクルト)、大山、才木ら現在の主力選手を獲得して常勝軍団の礎を築いた。

 ◆新井 貴浩(あらい・たかひろ)1977年1月30日生まれ、広島県出身。48歳。現役時代は189センチ、102キロ。右投げ右打ち。広島工から駒大を経て、98年度ドラフト6位で広島入り。05年に本塁打王となるなど強打の内野手として活躍。07年オフ阪神へFA移籍し、11年には打点王を獲得。14年限りで阪神を退団し、広島へと復帰した。16年には101打点を挙げる活躍で、MVPに輝く。18年引退。現役通算2383試合、2203安打、319本塁打、1303打点、43盗塁、打率.278。広島の監督を23年から務めている。

 ◆金本知憲(かねもと・ともあき)1968年4月3日生まれ、広島県出身。57歳。現役時代は180センチ、88キロ。右投げ左打ち。広陵-東北福祉大を経て91年度ドラフト4位で広島入団。00年にトリプルスリーを達成するなど、セ・リーグを代表する外野手となる。02年オフ阪神へFA移籍し、03年と05年優勝へと導いた。04年打点王、05年MVP。12年引退。現役通算2578試合、2539安打、476本塁打、1521打点、167盗塁、打率.285。阪神の監督を16年から3年間務めた。