初優勝を手にした郡司浩平 photo by Takahashi Manabu【南関東で唯一出場の郡司が初制覇】「自分自身…


初優勝を手にした郡司浩平

 photo by Takahashi Manabu

【南関東で唯一出場の郡司が初制覇】

「自分自身がグランプリを獲った瞬間の景色を見たい。そして応援してくれた方たちにその景色を見せたい」

 今夏のインタビューでそうコメントしていた郡司浩平(神奈川・99期)。「南関(南関東地区)ではひとりだけの出場で、寂しい気持ちで練習に励んでいた」という郡司が、念願だった『KEIRINグランプリ2025』を制し、初の王者に輝いた。郡司のグランプリ出場は今回が6度目で、神奈川県勢としての優勝も初めてのことだった。

 このKEIRINグランプリは毎年、年の瀬が迫った12月30日に開催されており、出場できるのは、年6回あるGⅠ開催の覇者と賞金獲得額上位者らの計9名。選手の誰もがその景色を見たいと願う、競輪界最高峰のレースだ。

 今回の会場は郡司の地元地区・神奈川県の平塚競輪場。2025年の王者が決まるとあって、会場には観客席を埋め尽くすほど多くのファンが詰めかけ、バンクのほぼ1周を人が三重・四重に取り囲んでいた。とくにホームストレッチの立ち見エリアは立錐の余地もないほどの大盛況ぶり。この日は天候にも恵まれ、気温17度、ほぼ無風と、この大一番を祝福するかのような、文句のない舞台が整っていた。

【勝負のカギとなった近畿vs関東】

 レースの注目は、寺崎浩平(福井・117期)、脇本雄太(福井・94期)、古性優作(大阪・100期)、南修二(大阪・88期)の4人の近畿勢と、眞杉匠(栃木・113期)、吉田拓矢(茨城・107期)の関東コンビがどう動き、そこに「単騎でいく」と表明している、郡司、阿部拓真(宮城・107期)、嘉永泰斗(熊本・113期)の3人がどう絡んでいくかだった。

 16時30分、スタートの号砲が鳴り響くと、「前受けで主導権を取る作戦だった」と寺崎が語ったとおり、序盤は寺崎、脇本、古性、南の並びで近畿勢が前団に並び、その後ろに郡司と阿部の単騎が位置取り、眞杉、吉田の関東コンビ、そして最後尾に嘉永がついた。


郡司(白・1番車)は中団に入り様子をうかがう

 photo by Takahashi Manabu

 最初に動き出したのが、関東コンビ。残り2周半となったところで眞杉と吉田がするすると上がり、先頭の寺崎とつばぜり合い。この攻防が勝敗を分けるキーポイントとなった。

 眞杉が「並走が長かった。そのまま仕掛けても(前に)出きれなかったと思う」と語れば、吉田も「近畿とぶつかる感じになってしまった」と寺崎の動きに翻弄され抜ききれなかったことを悔やんだ。眞杉をけん制した寺崎もこのシーンで思いのほか手こずり体力を消耗したようで、「(最終周回で)苦しまぎれになってしまった。バックストレッチまで押し切らないと話にならなかった」と唇を噛んだ。

 この近畿勢4人vs関東コンビのぶつかり合いの後ろで、虎視眈々と機会をうかがっていたのが、単騎の3人だった。残り1周となったホームストレッチで嘉永が猛然とスパート。「郡司さんも(前に)行く感じじゃなかったので、一発を狙った」とここで勝負を決めにかかるかのようなスピードで駆け上がった。しかし先頭を走る寺崎の抵抗に合い一瞬失速。その隙を突いたのが、郡司だった。

 嘉永のダッシュに「冷静に対処できた」という郡司は、その後ろを追走。第2コーナーでの寺崎と嘉永のやりとりを尻目に、バックストレッチで嘉永を捉えると、第3コーナーでついに先頭に立つ。余裕を残していた郡司は「加速しながら、誰が後ろから来ても対処できるようにしていた」という。

 最後の直線で阿部と吉田が追いこんできたが、郡司が最初にゴール線を通過。勝利をその手に収めた郡司は一度大きく吠えると、腕を高らかにあげて、地元・神奈川のファンの大歓声に応えた。



ゴール線付近。右から1着の郡司、2着の阿部、3着の吉田

 photo by Takahashi Manabu


観客の歓声に応える郡司

 photo by Takahashi Manabu

「以前に2回(2020年、2022年)、平塚で開催されたグランプリを走りましたが、悔しい思いをしていました。最後に自分が思ったとおりの集大成が見せられ、こうして皆さんの前で優勝できて本当にうれしいです」と郡司は笑顔を見せた。

【心境の変化で初戴冠】

 郡司が初めてKEIRINグランプリに出場したのは2019年の年末。そこから4年間、S級S班(トップ9)の地位を守り続けるも、「ここから落ちてはいけないという気持ちのほうが大きく、消極的に過ごしていた」という。

 そんな気持ちがレースに影響したのか、2023年は成績が振るわず、2024年はS級1班として戦うことになってしまった。しかし本人はこの陥落にも「逆にスッキリした。また新たな気持ちで上を目指せるというスイッチが入った」と前向きに捉えていた。

 この心境の変化はすぐに結果として表れ、2024年2月のGⅠ開催「全日本選抜競輪」を制して、年末のKEIRINグランプリへの出場権を獲得。2025年の1年間を再びS級S班として戦うことになった。


会見で今年1年を振り返った郡司

 photo by Takahashi Manabu

「一度、落ちたことで今(2025年)は堂々と受けて立てる心境になりましたし、以前とは違う気持ちです。もう守っている感覚はありませんし、新たな気持ちで上を目指せています」

 再スタートを切ったこの1年間は、GⅠ制覇こそなかったものの、地道に努力を重ねて結果を積み上げ、こうして初の栄冠に輝いた。その原動力となったのが、冒頭のコメントだ。

 表彰式後、同地区の練習仲間が集まり、胴上げが始まった。その顔は皆、笑顔に包まれていた。応援してくれていた人たちが見た"グランプリ獲得の景色"は、郡司とその仲間たちの笑顔だっただろう。

 郡司はレース後ずっと笑顔で応対していたが、胴上げが終わり地面に降り立つと、その目から涙が零れ落ちた。

「(自分は)やっぱりひとりじゃなかったんだなと感じました」

 郡司が切望していた"グランプリ獲得の景色"とはいったいどんなものだったのだろうか。それはきっと涙に滲んでいたに違いない。



最後は仲間たちの祝福に涙を見せた

 photo by Takahashi Manabu