悪夢は突然やって来た。09年5月31日。アンライバルドが主役だった日本ダービーの発走2時間半前から降り出した雨が徐々に…

 悪夢は突然やって来た。09年5月31日。アンライバルドが主役だった日本ダービーの発走2時間半前から降り出した雨が徐々に強まり、バケツを引っ繰り返したような豪雨に変わる。友道調教師は装鞍所にいたスタッフから「本当に(馬を厩舎から)出すんですか?」と聞かれたほど。「今まで、あんなのは見たことがない」と振り返る。

 雨こそやんだが、不良馬場で行われた競馬の祭典。後方を追走するアンライバルドにいつもの推進力は全くない。勝ち時計が2分33秒7というタフなレースの中で全く見せ場もなく、馬群に沈んだ。単勝2・1倍の本命馬は12着。当時は現場で取材したが、びしょ濡れのスーツに身を包み、「馬場ですね」と言葉を絞り出したトレーナーの沈痛な表情は今でもよく覚えている。

 競走生活は“伝説”から始まった。08年10月26日の新馬を快勝。このレースで2着だったリーチザクラウンはこの日本ダービーで2着に入り、4着だったスリーロールスは菊花賞を勝利。3着だったブエナビスタはその後、G1・6勝を挙げた名牝だ。のちに活躍馬が続々と出たため、競馬ファンから自然と「伝説の新馬戦」と呼ばれるようになった。

 続く京都2歳Sは3着に敗れたが、若駒SからスプリングS、皐月賞を3連勝。皐月賞は後方から「突き抜ける」という表現がぴったりの豪脚で2着に1馬身半差の圧勝だった。「伝説の新馬など思い出の多い馬でしたね。体はよかったけど、運動能力がすごくて、全身がゴムマリのような感じでした」と友道師は懐かしむ。

 突然の豪雨で時は止まった。日本ダービー後は4戦未勝利。2ケタ着順は2度あり、左前脚浅屈けん炎も発症した。伝説の新馬戦から皐月賞まで約半年。アッという間に駆け抜けた輝きを最後まで取り戻せずに、5歳夏にターフを静かに去った。

 今年5月。訃報に接した友道師は「この馬の経験で、その後にダービーを3勝できたと思っています」と口にした。決して、大げさではない。開業8年目で、注目を集める人気馬とクラシックロードを歩んだのは初めて。注目を集めた日々が、今や毎週のように重賞へ管理馬を送り出す名門厩舎の“礎”となっている。ただ、あの雨がなければ…。16年以上たった今でも、強いアンライバルドの走りをもっと見たかったと強く思っている。(山本 武志)