私が競馬に興味を持つきっかけとなったのが、1997年にエアグルーヴが勝った天皇賞・秋。その頃にノーステッキでアイビーS…

 私が競馬に興味を持つきっかけとなったのが、1997年にエアグルーヴが勝った天皇賞・秋。その頃にノーステッキでアイビーSを圧勝し、怪物と騒がれていた2歳馬(当時は3歳表記)が外国産馬のグラスワンダーだった。

 競馬を見始めたばかりは純粋で“怪物”という言葉を疑う余地もなく、グラスワンダーのレースを毎回、楽しみにするようになった。まずは朝日杯3歳SでG1を難なく勝利。これからどこまで快進撃が続くのかと思われた中で、翌年には骨折が判明して休養。その休養中に頭角を表したのが、同じ外国産馬で後にジャパンカップを制し、凱旋門賞で僅差2着に好走するエルコンドルパサーで、当時の鞍上はともに的場均現調教師だった。

 秋の毎日王冠では最初で最後の直接対決が実現するわけだが、NHKマイルCを5戦5勝で制したエルコンと、春を全休した2歳王者のどちらを鞍上が選択するのかにも注目が集まった。結果的にグラスワンダーを選び、素質の高さを相当評価していることが分かり、私も「やっぱり怪物なんだ」と、その時により期待が高まったことを覚えている。外国産馬に出走権がなかったクラシック路線にはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイローがいる、まさに黄金世代。その中でも断然の推しとなっていったのがグラスワンダーだった。

 けがから復帰後の毎日王冠、アルゼンチン共和国杯では勝利を挙げることができず、復帰3戦目の有馬記念は単勝14・5倍の4番人気。そこで本来の輝きを取り戻す勝利を挙げると、翌年の宝塚記念、有馬記念とグランプリに限れば3連勝。有馬記念は復活Vの98年、スペシャルウィークと4センチ差の死闘となった99年も現地で観戦。大観衆の隙間からわずかに見えた栗毛のグラスワンダーが走る姿を今でも忘れることができない。

 種牡馬晩年の16年にはビッグレッドファームに移動。同ファームは種牡馬の見学が可能で、いつでも会えると思っていたこともあって、いつの間にか月日が経過。それが8月8日、結局会うことができないまま天国へ旅立ってしまった。今こうして競馬好きから記者をやれているのは、間違いなくグラスワンダーに魅せられ、競馬に夢中になったことが大きい。(浅子 祐貴)