<寺尾で候>日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。   ◇   ◇   …

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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2025年は「国宝」の年だった。慌ただしい年の瀬の合間を縫って、東京・東銀座の歌舞伎座で「火の鳥」を観劇。8月の納涼歌舞伎で上演されたばかりで、その年のうちに新作が再演されるのは異例のことだ。

不死鳥伝説に出てくる火の鳥を描く作品はさまざまで、日本では手塚治虫の漫画でも知られる。年末の“歌舞伎の殿堂”は大にぎわい。プロ野球にも言えることだが、エンターテインメントの健在ぶりにほっとした。

病床にある大王は、永遠で不治の力を持つ火の鳥を手に入れたいと望み、ヤマヒコ・ウミヒコの王子に捕縛を命じる。音と映像の繊細な演出で、2人の兄弟はまるで宇宙を泳ぐかのように火の鳥を探す旅を続ける。

王子が捕まえたと信じた黄金の箱から消えた火の鳥に大王は落胆したが、突如、人間に真を告げたいと火の鳥が姿を現す。そして血と血で争う国々の愚行に疑問を呈し、永遠とは形あるものでなく、人間の「魂」にあると説く。

国を治めてきた大王は自らの愚かさに気づき、ヤマヒコ・ウミヒコは兄弟愛を確かめ合う。そして、火の鳥は天に羽ばたく。いまだ戦争が終結しない世界情勢、人間の欲望を暗示した舞台は超人気になった。

火の鳥を演じ、演出・補綴(ほてつ)を手がけたのが真の国宝、坂東玉三郎。孤高の歌舞伎役者で、世界が認める芸術家、人間国宝(重要無形文化財保持者)の玉三郎とは長い付き合いだ。ここのところ次々と若手を抜擢していることが話題になっている。

プロ野球界などスポーツ、芸能、サラリーマンの組織でも、新しい世代との距離感、指導が気難しいといわれている。玉三郎は血縁をもって芸が継承される世界で、その流れを持たないにもかかわらず、世界が認める役者にのし上がった。

玉三郎の舞台が人気を誇るのは、世襲を疑わない歌舞伎界ではまれなことだ。その生きざまが平坦ではなかったからこそ、彼の指導力には説得力がある。大切にしているのは、若い人が理解するタイミング、教える側がそのアンテナが立っている瞬間を見逃さないことだ。

それに的外れに教えても、若手からはなにも出てこないし、いいところを見落としてしまうという。お互いの相性もある。そこにマニュアルはない。ただ踊りは教えることができても、「心」は教えられないという。玉三郎とのやりとりを思い返しながら火の鳥を観ていた。

そういえば、名作「仮名手本忠臣蔵」を観劇する小泉進次郎と近くになったことがある。亡き主君の仇討ちを果たす「赤穂浪士の討ち入り」を題材にした作品。政治家一家に育ったことでなにかと世襲を持ち出される小泉が、舞台を見て胸を熱くしているのが伝わってきたものだ。

さて、阪神で討ち入りをイメージさせる貴重な資料が甲子園歴史館で一般公開された。1956年(昭31)、監督だった藤村富美男に、当時12人の中心選手が退陣を迫った「藤村富美男監督退陣要求書」と題した連判状だ。

前々からその存在は知っていたし、すでに生写真を見せられていた。いつか歴史の一端として明らかにすべきと思ってもいた。肝心なのは「藤村排斥事件」にあった当事者、それに従った若い選手たちは、この事態をいかに受け止めていたのか。

この内紛劇の裏側にあった真相に迫る必要があるだろう。年も暮れかかった冬枯れの日、ここにある歴史的事件の中心人物である“藤村”と向き合った。すでに甲子園近くにあった住まいを引き払っている。この一件について、藤村の長男・哲也が初めて口を開いた。(つづく、敬称略)