南海電鉄創業140周年を記念し、「南海ホークス(現ソフトバンク)」の歴史を振り返る特別イベント「南海ホークス展 Lega…

南海電鉄創業140周年を記念し、「南海ホークス(現ソフトバンク)」の歴史を振り返る特別イベント「南海ホークス展 Legacy into the Future」が29日、大阪市中央区の共催した高島屋大阪店でにぎやかに開催された。

ナニワの名門球団だった栄光の軌跡を、展示・体験、ステージイベントを通じて紹介。26日から行われている企画で、この日は、OB河埜敬幸氏とブルースシンガー・野本有流氏がゲストとして登場した。

ホークスの歴史は1938年に「南海軍」と称して発足し、南海電鉄、ダイエー、ソフトバンクと親会社が変わってきた。かつての南海ホークスは、現在の商業施設「なんばパークス」の場所にあった「大阪スタジアム」を本拠地としていた。今年11月2日には大物OBで名選手の広瀬叔功氏(享年89)が亡くなった。

この日の会場は、関西だけではなく、東京、神奈川などから駆けつけたファンで満席になって立ち見が出るほどだった。交流会のコーナーでは、ファンが壇上に上がって当時のグッズ、球団にまつわるアイテムを持参し、それぞれ披露する試みで大いに盛り上がった。

南海ホークスの“いぶし銀”の内野手で、当時のユニホームを着込んだ河埜氏は「なつかしいです。このユニホームを着て胸が熱くなりました」と感慨深げだった。

南海時代は、新入団発表会のときは新品のユニホームを着たが、いざ練習になると先輩からお下がりのユニホームを借りてプレーしたという。“裕福”なダイエーに球団譲渡されたホークスは、福岡移転とともに常勝チームになっていった。

「今はうらやましいですね。ぼくの青春は中百舌鳥(なかもず=2軍球場)にあります。6年間寮生活で、1軍で試合に出たときはうれしかった。でも選手兼任監督の野村(克也)さんに上に呼んでもらったんですが、いきなり野村さんの代走で出たけどアウトになってベンチで大笑いされたのを思い出します」

会場内には貴重なバット、ポスターなど展示をはじめ、歴史年表、関連資料に「パワフルプロ野球」の体験ゾーンも設置。かつて名監督の鶴岡一人氏が通った割烹「桜」の息子の岡崎泰章氏は「杉浦さん、広瀬さんたちが亡くなって、南海ホークスの語り部たちが消えていくのはさみしいですね」と語った。

最後は野本氏が、現在も歌い継がれる名曲「南海ファンやもん!」を歌って締めくくられた。【寺尾博和】