スペイン5部レガネスBに1年契約で加入した中井卓大(22)がスペイン紙マルカのインタビューに応じ、昨季まで長年所属したレ…

スペイン5部レガネスBに1年契約で加入した中井卓大(22)がスペイン紙マルカのインタビューに応じ、昨季まで長年所属したレアル・マドリード時代を振り返った。そのもようを同紙が28日に伝えている。

中井は幼いころ、ヨーロッパでプレーできることを想像していたかという質問を受けると、「想像していなかったよ。当時、Rマドリードからのオファーはまったくなかったけど、スペインでプレーしたかったので、8歳でスペイン語の勉強を始めたんだ。数字を数えたり、『グラシアス(ありがとう)』の言い方を覚えたりしていた。Rマドリードの試合やバルセロナの試合を見ていたし、夢はスペインでプレーすることだった」と答えた。

Rマドリード入団の経緯については、「Rマドリード財団のクリニックが日本で開催され、約400人の子供たちが参加した。そこでMVPが選ばれ、その選手は下部組織のトライアウトを受けることができたんだ。僕は9歳の時、その1人に選ばれた。可能性は0・01%しかないと言われていたけど、両親は承諾してくれた。1週間半、素晴らしい仲間たちと一緒にホセ・マヌエル・ララ氏のもとで練習し、親善試合でFWに起用され、ゴールを決め、良いプレーができた。その2週間後、契約を結ぶと伝えられたんだ」と明かした。

両親がその非常に少ない可能性を信じていたかという質問を受けると、「本当のことは分からないけど、父が空港に送ってくれた時、僕の背中を見て、契約できるオーラを感じたと言っていたよ」と冗談交じりに話した。

続いて、“ピピ”というニックネームについて、「2歳の頃から呼ばれるようになったんだ。それは母がつけてくれたあだ名だよ。僕が末っ子で兄たちによく泣かされ、『ピー、ピー、ピー』と泣いていたみたいだ(笑い)。とても変わったあだ名だよね」と説明した。

日本に帰りたいと思ったことがあるかという質問には、「まったくなかった。ずっとあそこにいたいと思っていたよ。Rマドリードを自分から去ることなんてできない。あそこは世界最高のクラブであり、いられるのは光栄なことだからね。つらい時期もあり、適応するのに苦労したけどね。毎日父に電話をしていたけど、帰国するよりもサッカーをやりたいという気持ちの方が強かった」と否定した。

最も困難だった時期については、「FIFA(国際サッカー連盟)から処分を受けた時だよ。外国人であることで処分を受けたんだ。子供のころ、翌日に重要な大会があったことを覚えている。僕はメンバー入りしていたけど、その日の夜、処分のため出場できないと電話がかかってきた。15歳まで何度も同じことがあった。チームと一緒にプレーも練習もできず、個別に練習するしかなかったんだ」と振り返った。

ピッチ上でのコミュニケーションについては、「最初の2週間は通訳が同行してくれて、それ以降はそれほど必要なくなった。電子辞書を持ち歩き、何とかやっていたよ。スラングはクラブ、より正しい言葉は学校で学んだ」と明かした。

練習場での生活については「本当に過酷だった。毎日がテストのようなものだったからね。あそこでは契約なんて関係ない。毎年、残留か退団かが決まるんだ。練習で毎回、全力を尽くす必要がある。でもそれは光栄なことだ。僕はいつもディズニーランドのような場所だと言っている」と話した。

トップチームの練習参加については、「初めて参加したのは16歳の時で、国際Aマッチ期間中の10月12日のことだった。PCR検査を受けるよう呼び出され、練習参加できるように検査結果が陰性になることを願い緊張していたよ。ベンゼマ、ビニシウス、マルセロ、クロースなどがいた。カスティージャ(Bチーム)から何人かが参加し、僕はフベニールB(ユース年代)から唯一呼ばれた選手だった。初日は足が震えたよ。マルセロが近づいてきて、落ち着かせてくれたんだ。クロースはシンプルにプレーし、ボールを受ける前に考えるよう言ってくれた」と思い出した。

トップチームの練習で最も印象に残ったことについては、「トレーニングの終わりに行われる紅白戦を、彼らは欧州チャンピオンズリーグ(CL)決勝のように捉えていた。絶対に勝たなければいけなかったんだ。負ければ激怒し、勝てばお祝いした。あんな光景は見たことがなかった。彼らにとって、それは単なる練習ではなかったんだ。まるで人生最後の試合のように臨んでいた。僕はそれが、Rマドリードが欧州CL15回の優勝を誇る理由だと思っている」と答えた。

最後に将来的な抱負について聞かれると、「夢のひとつは欧州CLに出場し、MVPに選ばれることだ。ある日、ベンゼマが受賞したのを見て、自分もそうなりたいと思った。トップレベルに到達し、日本代表でプレーすることを夢見ている。世代別代表に選ばれたことがあるので、ワールドカップ(W杯)に出場したい。40歳まで現役を続け、これまで支えた人たちに恩返ししたいと思っている。引退後は子供たちをサポートし、日本とスペインを結ぶ協会を設立したい」と述べていた。(高橋智行通信員)