試合…

 試合終了残り25.6秒でタイムアウト、スコアは80-83。3点を追う場面でコートに送りだされた宇都鈴々奈(3年)の持ち味は3ポイントシュート。この時、背番号1は込みあげてくる思いを抑えきれず、涙をぬぐっていた。

「自分の本調子でプレーができてなかった中で最後のコートに立って、先生からは『お前がシュートを決めてこい』という風に言われてコートに立たせてもらいました。3年間のいろいろな思いが込みあげてきて、涙が出てしまって……。最後、勝ちきることができなかったのが本当に申し訳ないし、悔しい思いでいっぱいです」

 12月25日、日本航空高校北海道(北海道)は「SoftBank ウインターカップ2025 令和7年度 第78回全国高等学校バスケットボール選手権大会」の3回戦で大阪薫英女学院高校(大阪府)に敗戦。試合終了を告げるブザーは、チームの第1章が幕を閉じた瞬間でもあった。

 創部3年目ながら、インターハイとウインターカップには3年連続の出場を果たした。「最初は北海道代表の札幌山の手高校さんに勝つことを目標にしていて、その目標が達成できてからは全国の舞台で日本一になることを目標に取り組んできました」と口にしたのは地元出身の中村泉咲(3年)。日本一には届かなかったが、今夏のインターハイでは京都精華学園高校(京都府)の4連覇を食い止め、準優勝に輝いた。

 最近は熊の出没情報が出る。夕方以降に校内で時々見かける鹿は、疲れた体を和らげてくれる可愛らしい存在だ。大自然に囲まれた環境で、矢倉直親コーチのもと日々努力を重ねた。今年、ようやく全学年がそろった。夏につかんだ手応えもある。けれど、3年間の集大成として挑んだウインターカップは夢半ばで終わった。

「この3年間、きつい練習もみんなで声を掛け合って乗り越えてきたので、最後までチームワークとか団結力を大事にしてプレーできたと思います。でも、この大会で勝つことを目標にしてきたので、それが達成できなくて悔しいですし、この3年間、一緒にバスケをしてきたけど試合に出られなかったメンバーのためにも勝ちたかったです」(中村)

「自分たち1期生は、入学した頃から最後のウインターカップで優勝して終われるように3年間がんばってきました。1、2年生の頃は初戦敗退というすごく悔しい思いをしてきた中で、今大会はどのチームよりも強い気持ちで挑んだはずだったんですけど、最後は気持ちの面で負けてしまったと思います。たくさんの人に結果で恩返したかったので、本当に悔しいです」(宇都)

 高校最後の一戦で両チーム最多の25得点19リバウンドと気を吐いたのは、ドイツ人の父を持つ庵原有紗(3年)。180センチのパワーフォワードは高校生活を日本で送ることを決意し、3年間、エースとしてチームを引っ張った。

「今年は集大成だったので、最悪の結果になってしまいました」。悔しさをにじませた庵原だったが、チームメイトとの日々を語りはじめると、わずかに表情が和らいだ。

「最初は1年生だけでスタートしたので先輩からの指摘だったり教わることがなかったんですけど、後輩が入ってきて初めて先輩の立場になったこともいい経験になりました。ウインターカップなどで味わった悔しい思い出も自分たちにとってすごくプラスの経験になったので、仲間と支え合ってここまで来れたのはすごくよかったなと思います」

 数年後、数十年後、高校バスケの歴史を振り返ったとき、きっと日本航空北海道の名を思い出すだろう。チームの歴史は、これからまた始まる。1期生たちが築きあげた土台の上で、後輩たちが夢の続きを追いかけていく。

文=小沼克年

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