<猛虎リポート>史上最速リーグ優勝を決めた阪神の今季の戦いで、伝えきれなかった投手陣の舞台裏を「猛虎リポート」で随時掲載…
<猛虎リポート>
史上最速リーグ優勝を決めた阪神の今季の戦いで、伝えきれなかった投手陣の舞台裏を「猛虎リポート」で随時掲載します。第2回は今季、国指定難病の「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」から1軍復帰を果たした湯浅京己投手(26)です。23年WBCメンバーとしての栄光も、孤独な苦しいリハビリも経て迎えたプロ7年目。どんな時も立ち上がってきた前向きな心の根底には、高校時代の恩師からもらった言葉がありました。【波部俊之介】
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ドラフト会議が近づく10月頃だった。新たに入団する選手もいれば、別れも重なる季節。今季7年目の湯浅は、プロでの歩みをかみしめるように振り返った。
「自分は分離症もしたし難病にもなったし、タイトルも取ってWBCも出た。いろんなことがあったけど、1年1年が濃い。それは野球ができていても、できていなくても。自分にしか味わえない時間がたくさんあった7年だから」
今季4月に国指定難病の「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化症」から2年ぶり1軍復帰。病が引き起こす下半身のしびれや脱力などは手術を経ても完全になくなったわけではない。それでも、症状を含めて今の自分。直球主体の以前に比べ、今季はカットボールを取り入れた新スタイルで40試合に登板した。等身大の姿でプロ生活を歩んできた中、掲げる理想像が「オリジナルな自分」というものだ。
「自分と一緒の人は絶対にいないし、マネできないと思う。ピッチングもそうだし、オリジナルな自分の理想を追い求めていきたい。自分の人生だから。誰かみたいになりたい、とは一切思ったことがない」
プロ入り直後には3度の腰椎分離症に悩まされたこともあった。一方で22年には最優秀中継ぎのタイトルを獲得し、23年WBCでは侍ジャパンとして世界一にも貢献。スポットライトも暗い孤独な闘いも経験してきたからこその言葉だ。強い精神力の根底には湯浅らしい前向きな信条がある。
「自分の人生を楽しみたいとめちゃくちゃ思う。どんなことがあっても、その時その時を楽しめる人でいたい。苦しい時もしんどい日も多いけど、それこそ自分しか味わえないもの。それを楽しめるように」
考え方のキッカケとなった場面がある。約8年前、聖光学院3年時のことだ。チームでは約1時間毎日ミーティングを実施。その時の斎藤智也監督(62)の言葉が強く印象に残っているという。当時、世間では第4回WBCで日本が準決勝敗退し、指揮を執った小久保監督が厳しい意見を受けていた。風潮を見た斉藤監督が話していたのは「俺はこういう監督になりたい」というものだった。
「『こういう役職に就いているからこそ、たたかれる。こうなっていなかったら、ここまでたたかれない』と言っていて。そこまでいかないと批判もされないし、批判されなかったらそこまで。どんな状況や立場になっても、その状況を楽しめる自分でいたい。その話を聞いてから、ずっと思っていました」
今季4月の1軍復帰戦では、敵地にもかかわらず「おかえり!」と歓声が送られていた。苦難のたびに立ち上がり感情むき出しに投げる姿に、ファンは魅了されてきた。手術の担当医からは「歴史を塗り替えてくれている」との言葉ももらったという。歩みを止めず、今オフは再び直球の平均球速150キロを目標に来季へ突き進んでいる。
「この体でどう強いボールを投げるかだけを考えて。そうなればピッチャーとしてもっと成長できると思います」
過去を振り返ることなく進み続けた7年間。さらに“進化”した8年目の姿も楽しみだ。