広島東洋カープの黄金期を支えた名バッテリーの佐々岡真司さんと西山秀二さん。ドラフト1位入団の佐々岡さんと、南海ホークスか…
広島東洋カープの黄金期を支えた名バッテリーの佐々岡真司さんと西山秀二さん。ドラフト1位入団の佐々岡さんと、南海ホークスから移籍した西山さんの入団当時のエピソードから、今では考えられないほど厳しかった練習について語ってもらった。(聞き手・TIMレッド吉田さん)
レッド吉田(以下、吉田)佐々岡真司さんと西山秀二さんのおふたりは同学年で、広島東洋カープでは、バッテリーを組んでいた期間も長かったですよね。
佐々岡真司さん(以下、佐々岡)達川光男さんと2年ぐらい組んでから、そのあとはずっと西山でした。
西山秀二さん(以下、西山)12、3年組んでいましたね。
吉田 当時はパンチパーマにセカンドバックの時代ですか?
佐々岡 セカンドバッグですよ。
西山 (佐々岡さんの頭を指さして)こんな髪型ですよ(笑)。
佐々岡 変わってないですから、僕は(笑)。
吉田 プロ野球選手はパンチパーマにセカンドバッグ、ネックレスが定番でしたよね。
西山 カープには制服があって、移動の時のスーツを夏用と冬用で作ってくれるんです。僕がカープに入った時はもう普通のスーツだったんですけど、ひとつ世代が上の人たちは、上下真っ白とか......。
佐々岡 真っ白に薔薇(柄)のネクタイとかね。 西山 そのスーツを着て、みんなパンチパーマ(笑)。
吉田 いかついですね(笑)。ちなみに同い年であるおふたりの関係性は?
西山 僕は高校卒業でプロに入っているので、ササより早かったです。ササは社会人から入ってきました。
吉田 西山さんは、初めは南海ホークス入団でしたよね。
西山 2年目の途中にトレードでカープに入りました。なので、ササより2年半ぐらい先にカープに入っています。ササが入ってきた時には古株みたいな顔していました(笑)。南海ホークスの1年目は、練習に早く行ってライン引きをしたり、ボール出しをしたり、準備をしなきゃいけなかったんですよ。でも、2年目からは何もしなくてよくなった。
【ドラ1と扱いが違う】
吉田 カープはどんな感じでしたか? 西山 最初は1年目の扱いをされましたね。僕の1個下が緒方孝市なんですけど、一緒の扱いでした。 吉田 洗濯とかも自分でされていたんですか?
西山 当時の二軍は全部自分で洗濯していました。3年目、4年目ぐらいに(先輩の)お手伝いを卒業して、ある程度普通に生活できるようになった頃にササが入ってきたんです。
吉田 社会人野球から入団してきた佐々岡さんにはどう接したんですか?
西山 ドラフト1位で、同学年というのも知っていたので、えらそうにする気もないし、普通に接していました。 吉田 佐々岡さんから見て、西山さんは当時どんな感じでしたか?
佐々岡 入った時は緊張しているし、みんなに挨拶しないといけないじゃないですか。僕は、西山が同い年って知らなくて「佐々岡です。よろしくお願いします」と敬語でした。そうしたら西山は(ふんぞり返って)こんな感じですよ(笑)。どっかのおっさんかなと思っていて、「同い年やで」と言われても「同い年には見えん」って。
吉田 西山さんとしては、ドラ1で同い年が入っているというのはどうでしたか?
西山 最初から(チームの)扱いが違います。なので、仲良くしておいたほうがいいじゃないですか。絶対に出世するのがわかっているので。キャッチャーはどれだけいいピッチャーを捕まえられるかが大事なんですよ。
吉田 その嗅覚がないとダメってことですね。
西山 そうそう。キチっとそこでの投資が大事なんですよ(笑)。
吉田 投資ですか(笑)。
西山 そうしたら、あとからちゃんと福利厚生が返ってきますから(笑)。
吉田 ちなみに佐々岡さんは1年目から一軍ですか?
佐々岡 はい。二軍の経験はなかったです。
吉田 1年目の成績は? 佐々岡 13勝(11敗)17セーブです。
西山 大活躍でしたよね。かたやエースで、こっちは二軍と一軍を行ったり来たりしている選手ですから、それはもう上の扱いも違います。
吉田 ちなみに契約金はおいくらだったんですか?
佐々岡 7000万ですね。
西山 7000万か。当時の広島ですから、東京で換算したら3倍ですよ。2億円ぐらいの価値です(笑)。球団のえらい人に(カープの)契約で言われたんですよ。「こっちは物価が安いから、東京の3分の1や。東京の選手だったら3倍はもらっているくらいの感覚でいいんや」って。
吉田 それで納得したんですか?
西山 納得しないですよ。そんなわけないじゃないですか(笑)。
吉田 西山さんはドラフト4位入団で南海の契約金はおいくらだったんですか?
西山 3300万でした。南海なら破格ですよ(笑)。
佐々岡 大阪と広島も物価は違ったのかな。 西山 大阪と広島はあんまり変わらん(笑)。
【秋キャンプは潰れてもいいくらいの感覚】
吉田 当時の広島カープの練習のキツさは耳にしたことがありますが、振り返ってみていかがですか?
西山 ササが入ってきた最初のキャンプは、すごくキツかった。鬼軍曹(大下剛史さん)がいましたから......。
佐々岡 最初のキャンプはキツかったです。山本浩二さんの監督2年目の時に僕が入ったんですけど、相当練習がキツいというのは聞いていました。まだ浩二さんが41歳、42歳ぐらいでバリバリの時でしたね。
西山 そのキャンプもキツかったですけど、シーズン直前の春なので「潰れたらあかん」っていうのもありました。浩二さんの監督就任と一緒にヘッドコーチになった大下さんも2年目だったので、初年度ほどじゃなかったんです。それよりも最悪だったのは、来年から浩二さんが監督すると決まったその秋のキャンプですよ。大下さんもヘッドコーチで来られて......。それを経験したのは僕と緒方と紀藤真琴さんですかね。今の時代に絶対無理な内容でした。
吉田 高校でも結構ハードな練習はしてきているじゃないですか。
西山 比べものにならないです。グラウンドに行くのが本当に嫌でした。
吉田 プロ野球12球団でのなかでも広島の練習量は一番でしたか?
西山 あの時は群を抜いていたと思います。特に秋なんかは、潰れても構わないというくらいの厳しさで練習させられる。
吉田 潰れていい⁉
西山 春までに治るからって(笑)。
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【Profile】
佐々岡真司(ささおか・しんじ)/1967年8月26日、島根県出身。89年ドラフト1位で広島に指名され入団。プロ1年目から2ケタ勝利と2ケタセーブを挙げるなど活躍し、03年には史上6人目の通算100勝100セーブを記録。現役引退後は15年から広島のコーチ、20年から22年まで監督を務めた。現在は野球解説者、評論家として活動している。
西山秀二(にしやま・しゅうじ)/1967年7月7日、大阪府出身。プロ2年目の87年シーズン途中、トレードで広島に移籍。広島では94年、96年にベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ獲得。リーグを代表する捕手として活躍。引退後は巨人、中日のコーチを歴任。現在は評論家として活躍している。