W杯で4度の優勝を誇る世界的サッカー強国、イタリアが来年のW杯ロシア大会出場を逃した。1958年スウェーデン大会以…

 W杯で4度の優勝を誇る世界的サッカー強国、イタリアが来年のW杯ロシア大会出場を逃した。1958年スウェーデン大会以来、60年ぶりの大事件である。



ロシアW杯への出場を逃し、涙するブッフォン

 今回のW杯予選では、各大陸において波乱が目立つ。北中米・カリブ海予選では、1990年代以降、同地域のリーダー的役割を果たしてきたアメリカが大陸間プレーオフにすら回れずに敗退。南米予選では、コパ・アメリカ2連覇中だったチリが同様に消えた。さらにヨーロッパでは、前回大会で3位となったオランダが敗れている。

 だが、そうした例を引いたところで、イタリアの予選敗退が与えるインパクトはやはり強い。過去4度のW杯優勝は、ブラジルの5度に次ぎ、ドイツと並ぶ歴代2位タイ。数々の大一番で際立つ勝負強さを発揮してきたイタリアだけに、”まさか”の印象はぬぐえない。

 たとえば、ユーロ2016のグループリーグでベルギーを下した試合。あるいは、決勝トーナメント1回戦でスペインを破った試合。イタリアはいずれも実力以上とさえ思えるほどの力を発揮し、劣勢が予想された試合で会心の勝利を収めてきた。

 しかもイタリアの勝負強さは、ある時代のある特定のチームだけが持つものではない。今年行なわれたU-20W杯を振り返っても、決勝トーナメント1回戦で優勝候補筆頭のフランスを鮮やかに撃破。同じくU-21ヨーロッパ選手権では、最終的に優勝を果たすドイツをグループリーグで破っている。イタリアがひとたび狙いを定めた試合で見せる、異常なほどの勝負への執着心や集中力といったものは、先達から脈々と受け継がれてきたものだと言っていい。

 しかし、彼らがここぞという大一番で見せる集中力は時に感動的ですらある一方で、裏を返せば、それだけの力をコンスタントに発揮できるほどの地力はないということでもある。

 それは最近のW杯の成績を見ると、特に顕著だ。

 イタリアは2006年ドイツ大会で4度目の優勝を果たしたものの、その後は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会と、2大会連続でグループリーグ敗退。特に2010年は、パラグアイ、スロバキア、ニュージーランドという(あくまで名前だけを見れば)かなり楽なグループに入ったかに思われたが、まさかの最下位に終わっている。

 グループリーグ敗退が2大会続いていたことを考えれば、そろそろ予選敗退という結果に見舞われたところで不思議ではない。

 今回の予選でイタリアは、同組となったスペインの後塵(こうじん)を拝してプレーオフに回り、そこでスウェーデンに敗れて出場権を逃したわけだが、現在のイタリアが何かの大会でスペイン、スウェーデンとグループリーグを戦うことになったとして、イタリアが3位になったとしても、さほどの驚きはないのではないだろうか。

 W杯出場を逃したというインパクトが強すぎるあまり、いかにもあり得ないことが起きたかのような印象も受けるが、冷静に考えてみれば、十分に起こりうる結末だったと言うしかない。

 予選敗退が決まったスウェーデンとのプレーオフ第2戦にしても、イタリアは大きな間違いを犯したわけではない。第1戦の0-1から逆転での出場権獲得を目指すために、やるべきことを粛々と遂行していた。

 4-4-2で守備を固めるスウェーデンに対し、3-5-2のイタリアはワイドにボールを動かし、スウェーデンの守備網をどうにか広げようと試みた。両サイドのマッテオ・ダルミアン、アントニオ・カンドレーバは、タッチラインを踏み続けるほどの開いた位置にポジションを取り、徹底してサイドからの攻撃を仕掛け続けた。

 これに対し、スウェーデンの4バックは簡単にはサイドに引っ張り出されることなく、ダルミアン、カンドレーバへの対応はサイドMFに任せ、基本的に4人のDFは絞ったポジションを取って中央を固めることに徹した。

 その結果、スウェーデンの4バックの前、いわゆるバイタルエリアでは、スウェーデンのボランチ2枚に対して、イタリアのMF3枚が進入してくる数的優位の状況が生まれた。実際、イタリアは3バックからタイミングのいい縦パスが、数的優位のエリアに何本も入った。バイタルエリアでパスを受けたマルコ・パローロやアレッサンドロ・フロレンツィが、前を向いて攻撃を仕掛けるシーンは何度も訪れた。

 だが、悲しいかな、そこまでだった。いくら前を向いてボールを持とうとも、スウェーデンの強固な最終ラインを破るには、技術もアイディアも物足りなかった。イタリアはあれだけバイタルエリアに縦パスが入り、前を向けたにもかかわらず、ゴールを奪うどころか、決定的なシュートチャンスすらもほとんど作ることができなかったのだ。

 そこでイタリアの致命的な課題として痛感するのが、タレントの枯渇である。

 イタリアの代名詞といえばカテナチオ、つまりは堅守である。時代ごとに守り方の差はあれど、相手の長所を消して自分たちのペースに引きずり込む守備戦術は、イタリア伝統の業(わざ)だった。

 しかし、イタリアの強さの秘密はそれだけではなかった。イタリアにはいつの時代も、攻撃にアクセントをつけられる特別な選手がいた。この20年ほどの間でいえば、ロベルト・バッジョ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティ、アンドレア・ピルロといった面々だ。

 また、ジュゼッペ・シニョーリ、クリスティアン・ビエリ、フィリッポ・インザーギといった苦しい場面で頼れる点取り屋もいた。

 ところが、今のイタリアには、そうした”何かやってくれそうな選手”がいなくなった。精力的に走り回り、バイプレーヤーとして優れた働きをする選手はいても、特に攻撃面で主役になれる選手がいない。図らずもそれが明白になったのが、プレーオフ第2戦だった。イタリアは一方的に攻めているようでいて、実は何も起こせなかった。

 W杯出場を逃したことで、イタリアでは現在、ジャンピエロ・ヴェントゥーラ監督への批判と、次期監督選びの声がかまびすしい。しかし、誰かひとりに責任を押しつけようと、次の監督が誰になろうと、抱える問題が根本的に解決されるわけではない。

 90年代以降、フランス、スペイン、ドイツが育成に力を入れ、現在までの間に目に見える成果を挙げてきた。そして、これらの国にイングランドが続こうとしている現在、旧態依然とした体質のイタリアだけが取り残されようとしている。

 イタリアがいないW杯を見るのは、あまりに寂しい。それが現実のものだとは、にわかに信じがたい気持ちがないわけではない。チームスタッフに抱きかかえられるようにして、泣きながらテレビのインタビューに向かうキャプテンのジャンルイジ・ブッフォンを見ているのは切なかった。

 だが、この結末は決して番狂わせではなく、不運の一言で片づけられる出来事でもない。遅かれ早かれ、いずれこの日はやってきた。残念だが、そう考えるのが妥当なのだろう。試合終了のホイッスルと同時に耳をつんざくほどに鳴り響いたブーイングや指笛は、イタリアが変わるきっかけになるのだろうか。