引退した楠本泰史氏は2017年ドラフトで支配下82人中81番目の指名 今季限りで阪神を戦力外となり現役を引退した楠本泰史…

引退した楠本泰史氏は2017年ドラフトで支配下82人中81番目の指名

 今季限りで阪神を戦力外となり現役を引退した楠本泰史氏は、2017年ドラフト8位でDeNAに入団してプロ野球生活をスタートさせた。同年ドラフトでは支配下82人中、81番目の指名。「もう無理かも」とネクタイを外したところから歓喜の瞬間が訪れた。プロ1年目はオープン戦で12球団新人1号を放ちながら、涙の“懲罰降格”も経験。DeNAでの7年間を回顧した。

 東北福祉大では3年、4年時に大学日本代表に選ばれ、4番も務めた。実力者のはずが怪我もあり、“運命の日”になかなか名前を呼ばれなかった。「4巡目くらいで呼ばれなかったときにネクタイを外しましたね。『選択終了』を何回聞いたか。プロに挑むのは大卒の1度限りと決めていたので、『もうプロ野球選手にはなれないか』ってなったときに指名されて『え、俺だよね!?』と聞き直しましたね」。

 幼少期からの夢を叶えたが、“81番目”であるという現実もしっかりと受け止めた。「これが自分のプロ野球からの評価。結果を出せば上にいける世界だと信じていましたけど、いつクビにされてもおかしくない危機感の中で毎日過ごさないといけないという覚悟でした」とプロの世界に飛び込んだ。

 1年目から春季キャンプは1軍に抜擢された。しかしいきなり大きな壁にぶつかった。バッティングピッチャーを務めた今永昇太投手(現カブス)の打席に立ったときのこと。練習のため投手が球種を宣言して投じるが、30球弱の対戦で1球しか前に飛ばなかったのだ。「打撃に自信を持ってプロの世界に入ったのに、直球とわかっているのに飛ばない。これはとんでもない世界に来たなと衝撃を受けましたし、こんな人たちがゴロゴロいるのかと思いました」。

DeNAには7年間所属「苦しい思いでバットを振っている方が長かった」

 それでもオープン戦では12球団の新人1号を放ち、開幕1軍も勝ち取った。初スタメンも経験したが、4月14日の中日戦(横浜)でのこと。四球で出塁すると、次打者は右直だった。「捕った瞬間に一塁に戻ったんですけど、投げてこないかもしれないと思いながら戻ってしまったんです。右翼手の平田(良介)さんはすぐに投げてきて、一塁でアウト。そこで交代して、そのままファームに行くことになりました」。ワンプレーの重みは、とてつもなかった。

 実はこの時点で、開幕から17打席安打が出ていなかった。試合後、アレックス・ラミレス監督から「野球ができるメンタリティじゃないから、もう一度しっかり練習してきなさい」と2軍落ちを告げられたことは、今も忘れることはない。長浦町にあった選手寮に帰るタクシーの中で、涙がこぼれた。「情けなくて悔しくて、あとヒットを打てていない自分と……泣きながら帰ったのを覚えています」と若き日を思い出していた。

 苦すぎる経験も、「1軍の椅子って掴んだら死守しないといけないんだなと。自分が招いてしまった降格でしたけど、こういうことをやっていたら早いうちにいなくなるし、生き残るためにどうするかというのを改めて感じたプレーになりました」と原動力に変えた。厳しい勝負の世界で2022年、2023年はともに94試合に出場。2022年は打率.252、6本塁打という成績を残した。

 2024年に戦力外となり退団するまで7年間を過ごした横浜の地。「本当に人に恵まれているなと感じました」と周囲に感謝する。一方で、野球に関しては「1回も規定打席に立てなくて、レギュラーにもなれなかった。苦しい思いをしながらバットを振っている方が長かったので、思い出は歯を食いしばってずっとバットを振っていたことです」というのも、実に楠本らしさが溢れていた。(町田利衣 / Rie Machida)