箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟(関東学連)は25日、5年に1回だった記念大会を2028年1月(2027年度)の…

 箱根駅伝を主催する関東学生陸上競技連盟(関東学連)は25日、5年に1回だった記念大会を2028年1月(2027年度)の第104回大会から4年に1回として、出場枠は3増の26チームとするなどの大改革を行うことを発表した。大学創立100周年を迎える2027年度に理工学系私大初の箱根駅伝出場を目指している芝浦工大にとってビッグな“クリスマスプレゼント”となった。今年度からチームを率いる徳本一善監督(46)は「我々は持っています。104回大会で必ず初の出場権を仕留めます」と力強く話した。

 2028年1月開催の第104回は新しい記念大会として開催され、25校と日本学生選抜チームの計26チームが出場する。前年10月に行われる記念大会の予選会には第100回記念大会と同様に全国の大学が参加可能。予選会敗退校の選手で編成されるチームは通常大会の関東学生連合に代わって、日本学生選抜がオープン参加する。

 2029年1月開催の第105回以降の通常大会も3増の23校とオープン参加の関東学生連合の24チームが出場する。

 シード権は、記念大会も通常大会も現行通りの10校となる案で固まっている。そのため、予選会は記念大会は上位15校、通常大会は上位13校が本戦の出場権を獲得することになる。

 出場校の増枠は、全ての大学にとって朗報だが、芝浦工大にとっては、さらに大きな意味を持つ。

 芝浦工大は、2011年に駅伝部を創設。駅伝プロジェクト入学者選抜試験を導入し、さいたま市の大宮キャンパスに全天候型のトラックや選手寮を完備。文武両道を貫き、大学創立100周年を迎える27年度に理工学系私大初の箱根駅伝出場を目指している。

 今季、就任した徳本監督は、勢いよく話す。

 「芝浦工大がターゲットにしている27年度に出場枠が25校になるとは、まさにドンピシャのタイミングです。我々は持っています。初出場できる確率は上がりました」

 今年10月の箱根駅伝予選会は18位。単純計算で、2年後に3校を逆転すれば、箱根への道がつながる。「もちろん、来年(26年)の予選会でも初出場を目指して戦いますが、再来年(27年)の予選会では必ず初の出場権を仕留めます」ときっぱり話した。

 徳本監督は法大時代、箱根駅伝でスター選手として名をはせた。箱根駅伝史上初めて茶髪とサングラスの姿で走った選手とされ、多くの「伝説」を残した。2年時は1区で区間賞。その年、2区でも坪田智夫・現法大監督が区間賞を獲得。「オレンジエクスプレス旋風」を巻き起こした。3年時は2区で日本人トップの区間2位と好走し、首位浮上。その直後、日本テレビのインタビューでは頭の上から装着するウルトラマンのような奇抜なデザインのサングラスで登場し、新春の日本列島を驚かせた。4年時は暗転。2年連続で2区を走ったが、右ふくらはぎ肉離れのため、7・3キロ地点で途中棄権。大手町のスタートから28・6キロ地点での途中棄権は今も大会史上最短記録として残る。

 2012年に駿河台大監督に就任し、10年目の2021年10月の箱根駅伝予選会を突破し、22年1月の本戦に駿河台大を初出場に導いた。24年に2度目の出場を果たし、今年1月に退任が発表された。

 芝浦工大は徳本監督の新興校を強化する手腕を評価し、今季、准教授を兼ねて招聘(へい)。さらに徳本監督を支えるコーチとして、麗沢大前監督の山川達也氏(41)が就任した。それぞれ駿河台大と麗沢大を率いてきた二人は互いの指導方針や持ち味を認め合っており、絶好のコンビで芝浦工大を率いている。

 長い歴史を誇る箱根駅伝で2校を初出場に導いた監督はいない。箱根駅伝史に残るドラマチックなランナーであり、指導者でもある徳本一善監督率いる芝浦工大は、近い将来、箱根路で新風を巻き起こそうとしている。出場校の増枠によって、その可能性は高まった。

 ◇芝浦工大 1927年に有元史郎氏が東京・大森に前身の東京高等工商学校を創立。実学重視の技術者育成教育を継承して、49年に芝浦工大が設置された。現在、工学部、システム理工学部、デザイン工学部、建築学部と大学院理工学研究科がある。東京・江東区に豊洲キャンパス、さいたま市に大宮キャンパスがあり、駅伝部は大宮キャンパスを拠点としている。工学や建築の分野で多くの優れたOBを輩出。スポーツ界の主なOBはプロ野球・西武元監督の伊原春樹氏ら。

 ◆徳本 一善(とくもと・かずよし)1979年6月22日、広島市生まれ。46歳。美鈴が丘中1年から陸上を始め、3年時に全国大会で1500メートル2位。広島市立沼田高3年時に全国高校総体1500メートル2位。98年に法大入学。箱根駅伝では1年1区10位、2年1区区間賞、3年2区2位、4年2区途中棄権。2002年に卒業し、日清食品に入社。03、04年に日本選手権5000メートル連覇。12年4月、駿河台大駅伝部監督に就任。22年に駿河台大を箱根駅伝初出場に導いた。25年1月に監督退任。長男・陽(ひなた)は青学大の駅伝チーム2年生。