元ホンダ・浅木泰昭 連載「F1解説・アサキの視点」第4回 後編 ホンダとレッドブル・グループとのパートナーシップは、20…

元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第4回 後編

 ホンダとレッドブル・グループとのパートナーシップは、2018年のトロロッソ(現レーシングブルズ)との提携を皮切りに、翌2019年にはレッドブルにもパワーユニット(PU)の供給を開始、2025年まで続いた。

 8シーズンの間に、レッドブルとホンダはドライバーズ・タイトルを4回、コンストラクターズ・タイトルを2回獲得。2023年には全22戦中21勝という驚異的な勝率を記録している。そんな歴史の当事者としてパートナーシップに関わった元ホンダ技術者の浅木泰昭氏に栄光の8年間を振り返ってもらった。


ホンダとレッドブルがパートナーシップを組んで初のドライバーズ・チャンピオンを獲得した2021年アブダビGP

 photo by Sakurai Atsuo

【成功のカギは信頼関係】

 当時のホンダのパワーユニット(PU)はそれほど競争力が高くなかったですが、レッドブルの首脳陣は、ホンダのスタッフが勝つためにつねに全力で開発に取り組むことを評価してくれたのだと思います。ホンダは信頼できる相手だと認めてくれたのです。

 レッドブルの人たちと仕事をし始めた頃、みんながホンダのことをすごく気遣ってくれました。とにかく優しかったのです。

 マクラーレンはホンダに対してプレッシャーをかけるような厳しい態度を取っていましたが、結果的にうまくいっていないことをレッドブルは見ていましたので、ホンダに対してキツいことを言ったり、命令口調で指示したりするのは、あからさまに避けていました。

 あと当時、トロロッソの代表を務めていたフランツ・トストさんは過去に日本に住んでいたこともあったので、日本人の気質というものを知っており、事前にレッドブルのスタッフにいろいろと説明してくれていたようです。

 とにかくホンダのスタッフには「のびのびとやってくれ」と繰り返していましたね。車体に関しては自分たちでなんとかするので、ホンダは我々に忖度しなくてもいいから、好きなように開発に集中してくれ、と。

 レッドブルはルノーのPUを搭載したマシンでも年間で数勝はしていましたから、ホンダがルノーと同等のPUを作れば、ある程度の成績が出せるという自信があったのでしょう。

「レッドブル・グループとしてはホンダの伸びしろに期待しているのだから、変なプレッシャーをかけて萎縮させるんじゃないぞ」という指示が首脳陣から現場のスタッフに出ていたのではないかなと思っています。

 ホンダとしてもレッドブルというチームと一緒に仕事をしてみて、彼らにすごく好感を持ちました。技術者のレベルは高く、みんな和気あいあいと仕事に取り組んでいました。当時はレッドブルの創業者、ディートリヒ・マテシッツさんがご健在で、意思決定のプロセスが明確だったことが大きかったと思います。

「お金のことを気にせず、勝つためには何でもやるんだ」というマテシッツさんの考えをモータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコさんが現場にはっきりと伝えていました。技術者は速いマシンを開発することに集中できる環境だったので、すごく働きやすい職場に感じました。実際にみんな明るいし、生き生きと仕事に取り組んでいました。

 レッドブルとホンダはひとことで言うとウマが合いました。この8年間、レッドブルもホンダも大きな成功をつかめた根本には、お互いに対する絶大な信頼感があったからだと私は確信しています。

【思い出のレースともうひとつの分かれ道】

 レッドブルと組んだ8年間で一番記憶に残っているのは、2019年第9戦オーストリアGPです。フェルスタッペン選手がトップでチェッカーフラッグを受け、2015年にスタートしたホンダの第4期活動における初勝利をもたらしてくれました。

 このレースではマックス・フェルスタッペン選手がスタートで失敗して出遅れ、今回も初優勝はお預けだなと思ったのですが、すばらしい追い上げを披露して勝利をつかみ取りました。この勝利で一度も勝てずに撤退という最悪のシナリオがリセットされ、安堵したことを今でも覚えています。

 次はホンダのワークス撤退が決まっていた2021年の最終戦アブダビGPです。フェルスタッペン選手が最後の1周でメルセデスのルイス・ハミルトン選手を抜いて、自身初のチャンピオンに輝きました。ホンダにとっては1991年のアイルトン・セナ選手以来、じつに30年ぶりのドライバーズ・タイトルの獲得でした。

 2022年の日本GPでフェルスタッペン選手が優勝し、2年連続のドライバーズ・チャンピオンを決定し、私がチームを代表して表彰台に上がることができました。鈴鹿サーキットの表彰台に立ち、シャンパンファイトをするという普通では体験できないことができたのはいい思い出ですが、あくまでも付録ですね。

 やっぱりF1復帰後の初優勝を飾った2019年のオーストリアGPと、ワークスとして最後のシーズンに強引に新骨格のPUを投入して初のドライバーチャンピオンを獲得した2021年のアブダビGP、この2レースは忘れられません。

 ホンダは2022年以降、レッドブルが設立したPU製造会社、レッドブル・パワートレインズを通じて技術支援を開始。フェルスタッペン選手は2021〜2024年まで4年連続でドライバーズ・チャンピオンを獲得し、2023年に全22戦中21勝を達成します。

 ワークス撤退後にこれだけの成功を収めることができたのは、2021年に予定を1年前倒しして新骨格のPU投入したことが大きかった。でも撤退発表がなければ、ワークス最後のシーズンに間に合わせるためにわずか5カ月で新骨格を完成させ実戦投入し、チャンピオンになることもなかったのです。

 今あらためて振り返ってみると、2021年の撤退と新骨格PUの投入がレッドブル・ホンダにとってもうひとつの運命の分かれ道になりました。

第5回へつづく

前編から読む

<プロフィール>
浅木泰昭 あさき・やすあき/1958年、広島県生まれ。1981年に本田技術研究所に入社し、第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。初の著書『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)が好評発売中。