男子ゴルフの日本ツアーで通算最多94勝を挙げるなど、実力と人気で黄金時代を築いた尾崎将司(おざき・まさし)さんが23日午…
男子ゴルフの日本ツアーで通算最多94勝を挙げるなど、実力と人気で黄金時代を築いた尾崎将司(おざき・まさし)さんが23日午後3時21分、S状結腸がんのため千葉県内の自宅で死去した。78歳。徳島県出身。12度の賞金王にも輝き、生涯獲得は26億円超。プロ野球から転向し、健夫(71)直道(69)とプロゴルファー「尾崎3兄弟」の長男として活躍した昭和、平成を象徴するスターだった。葬儀・告別式は故人の遺志で家族葬として執り行い、後日お別れの会を行う予定。
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記録にも記憶にも残るスターが旅立った。この日、尾崎さんの長男で同じくプロゴルファーになった智春さん(54)の署名で「S状結腸がん(ステージ4)のため永眠いたしました。約1年前の診断後、本人の強い意志により自宅療養を続けて参りました」と訃報が出された。前日23日、望んだ自宅で息を引き取った。
ツアー通算94勝は歴代1位。プロ野球西鉄(現西武)を経てゴルフ界へ転身した。1970年(昭45)のデビュー戦からわずか約1年、71年日本プロ選手権で24歳で初優勝を飾ると、73年に初代賞金王。4年で25勝と破竹の勢いを誇った。
「俺たちは夢を与える仕事。努力を見せて勝っても、夢も派手さもない」
181センチ、90キロの大柄な体を生かし、豪快なプレーが持ち味。実際は繊細な性格だったが、あえて公式の場では皮肉やユーモア、時にストレートな物言いでスターを演じていた。
70~90年代は国内でゴルフ場も多く造られた時代。その活躍は本格的なゴルフブーム到来と重なり、石川遼、松山英樹へつなぐ、男子の道しるべにもなった。
30代半ばでは飛ばし屋ゆえに、国内の狭いコースではOBを連発。体調も万全ではなく、スランプにも陥ったが、41歳で迎えた88年に11年ぶりの賞金王をつかむと、98年までの11年間で実に9度も賞金王に輝き、黄金期を迎えた。
「一流のスポーツマンで、落ちてもう1度起き上がってきた者はいない。俺はやってみせる」。失敗や不調を乗り越える姿は、大衆に感銘を与えた。
50歳を超えてもシニアツアーに参加せず、レギュラーツアーで丸山茂樹ら若手の壁となった。02年全日空オープンでは55歳241日で、ツアー制度施行後の最年長優勝記録を樹立。「感動を与えることが使命」と胸を張った。
その後は樋口久子、青木功、岡本綾子に続き、日本勢4人目の世界ゴルフ殿堂入りも果たした。指導者としての名声も高く「ジャンボ軍団」総帥として多くの日米女王を育ててみせた。
晩年の尾崎さんは腰痛とも闘い、取材には「(体調は)70%まで戻ったね。オレの人生は楽しみ以外ないよ。早くいい話題を提供したいね」と、リップサービスは欠かさなかった。「オレが頑張らないと、あんたら(報道陣)は、すぐ女子に行っちゃうからな」とも意気込んでいた。あの豪快なショットはもう見られないが、尾崎さんの功績は永遠に色あせない。
◆尾崎将司(おざき・まさし)1947年(昭22)1月24日、徳島県生まれ。海南(現海部)高の野球部で64年センバツ優勝。年間最多勝(72年国内9勝)72ホール最少スコア(260)ツアー連続優勝(3週連続)などの記録も持ち、生涯獲得賞金は歴代1位の26億8883万6653円。「ジャンボ」の愛称で親しまれる。05年6月マンダムよみうりでプロ通算1000試合出場を達成。13年つるやオープンでは66歳にして62で回り、レギュラーツアーで初めて年齢以下のスコアをマークする「エージシュート」を達成した。国内112勝、海外1勝。181センチ、90キロ。血液型B。