3タックのワイドパンツ、「33」のラッキーナンバー。池田勇太が愛したアイテムは全て憧れの尾崎将司さんに由来した。約1年…

2013年「中日クラウンズ」で尾崎将司氏と同組でプレーする池田勇太

3タックのワイドパンツ、「33」のラッキーナンバー。池田勇太が愛したアイテムは全て憧れの尾崎将司さんに由来した。約1年間の闘病の末、23日にS状結腸がんで死去したジャンボに対し、関係者を通じて哀悼の意を表した。

鳴り物入りで2007年にプロ転向。09年のツアー初優勝は「日本プロゴルフ選手権」で、1971年に尾崎さんが手にした初勝利のタイトルと同じだった。石川遼と一時代を築き、2016年に賞金王に輝く。19年「ミズノオープン」までに通算21勝目。顎偏位症に端を発した体の不調により、23年末に手放した賞金シード復帰を決めたばかりだった。

■池田勇太の追悼コメント

「突然の訃報に接し、深い悲しみにくれております。

ジャンボさんと初めて一緒にラウンドさせていただいたのは2003年ブリヂストンオープンの最終日でした。ジャンボさんに憧れてゴルフを始めました。当時まだ高校3年生で、まさか一緒に回れるとは思わず、緊張もさることながら、詰めかけたお客さんの多さにも度肝を抜かれたことを、昨日のように覚えています。

私が2016年に賞金王に就いたパーティにサプライズで駆け付けてくださった。いつものジャンボさん節でゲストを笑わせながら、『1回では認めない。2度、3度で本物』との激励を私は泣きながら聞きました。

昨年末にご病気の宣告を受けられたとき、近しい方から病状を聞いていましたが、ジャンボさんの口からは絶対に語られなかった。誰とも会わずに闘病生活に入られたので、昨年の喜寿のお誕生日にお宅に伺ったのが、最後となってしまいました。

当時は私もケガをして治療中でしたので、親身になって症状を聞いてくださり、とにかくまずは治すことが一番と。治ればまた変わるから、と温かく励ましてくださった。

私事ながら今年は3年ぶりにシード復活し、22日には40歳となり、ここからリスタート、と誓った翌日の訃報に力が抜けてしまいました。もう1回復活をお見せしたい、と思っていたのに。もっともっと生きて欲しかった。あまりに早く旅立ってしまいましたが、これからもずっと、私たちを見守っていてくださると、私は信じています。

心からの感謝と敬愛と共に、謹んでご冥福をお祈りいたします」