運命のG戦士が球界に名を残す。巨人ドラフト4位の中大・皆川岳飛(がくと)外野手(22)が24日、出身の群馬県館林市を表敬…
運命のG戦士が球界に名を残す。巨人ドラフト4位の中大・皆川岳飛(がくと)外野手(22)が24日、出身の群馬県館林市を表敬訪問。“始まりの地”から一流への飛躍を誓った。
「エネルギーをもらいたい」と訪問を熱望した場所があった。市役所で多田市長から伝えられた。「茂林寺球場が巨人の基礎を作った場所です。巨人軍ゆかりの地です」。驚いた。03年4月30日に生まれ、父清春さんが指導する美園小サンダースで野球を始めた場所に、球史に残る聖地があった。
分福球場、通称茂林寺球場は1936年9月5日から13日までの9日間、藤本定義監督率いる巨人が猛練習をした場所。沢村栄治やスタルヒンらが参加し「暁の千本ノック」などが語り草の地獄の合宿は、日本職業野球リーグ初年度秋の初優勝につながった。館林駅前には「不屈のG魂誕生の地」と書かれた記念碑が立つ。
同市初の巨人入団となる走攻守そろった22歳は「ゆかりも縁もある。館林市の皆さんに恥じないような名を残したい」。来年1月の入寮を前に、聖地探訪で力をもらうと決めた。
来春には阿部監督が過酷さを明言するキャンプが待つ。「球界を代表するような選手になる。WBCや、世界で日の丸を背負って戦えるような選手になりたい」。その第1歩となるプロ1年目での1軍定着へ、猛練習で存在感を示したい。これまでも「地獄」と称される過酷な合宿をへて、常勝軍団を築いてきた巨人。元祖と言える館林から挑む新鋭は「優勝という2文字を忘れずに。貢献できる選手になりたい」とG魂継承を志した。【阿部健吾】
◆36年の巨人 36年に巨人を含め7球団でプロ野球の公式戦が開始された。巨人は2月に2度目の米国遠征に出発したため、4月から始まった春季大会には不参加。夏季大会から公式戦に参加したが、2勝5敗と惨敗した。危機感を覚えた藤本定義監督は兵役を終えたばかりの三原脩を選手兼助監督として復帰させ、群馬県茂林寺分福球場で緊急キャンプを実施。猛練習の成果もあり、秋季大会は18勝9敗で優勝を果たした。このシーズンは沢村が13勝を挙げ最多勝を獲得。9月25日のタイガース戦ではプロ野球初のノーヒットノーランを記録している。