尾崎将司さん、つまりジャンボさんが動くと大ギャラリーも動く。石川遼や松山英樹と同じ…、いや取り巻く熱気はもっとすごかっ…

1997年「マスターズ」でプレーする50歳の尾崎将司さん(David Cannon/Getty Images)

尾崎将司さん、つまりジャンボさんが動くと大ギャラリーも動く。石川遼松山英樹と同じ…、いや取り巻く熱気はもっとすごかったと思う。1996年11月の「ダンロップフェニックス」。スポーツ紙の記者だった筆者が初めてゴルフのトーナメントを取材した時の話だ。

勝てば国内ツアーでは通算81勝だが、海外などの試合を含めて節目の100勝。手にするアイアンは当時契約していたブリヂストンスポーツ製で自身が開発に携わった「J’s」ブランド。ドライバーはヘッドがメタルからチタンに移り始めていた時期で、朝の練習中にチタンを打てば、群衆がざわつく。角刈りに襟足をルーズに伸ばした“ジャンボヘア”にJ’sウェアを着た男性ギャラリーの姿が目立つ。狂騒曲の中で100勝を達成したジャンボさんは、49歳だった。

筆者は直前までプロ野球・近鉄バファローズの番記者だった。監督はゴルフ大好きでジャンボさんと親交があった佐々木恭介氏。佐々木氏は「ジャンボはすごいで」と新人、若手数選手を自主トレとして、沖縄で行われていたジャンボ軍団の合宿に参加させた。帰って来た選手は「メニューがめっちゃきつかった。吐きましたよ」と言う。しょせんゴルフと高をくくっていたようで、ギャップの大きさに面食らったようだった。

夏場の記者会見では生ビールを取り寄せて、グイグイやりながら取材に応じる。プレー中に漢方たばこ「中南海」をスパスパ吸う。圧倒的に強いから、そんな野放図な行動も魅力的だった。コメントもいちいち面白い。「きょうは満貫ばっかりだったな」と言うから「マージャンですか?」と聞くと「ドラサンばっかりだったんだよ」。ドラサン、つまり使ったクラブがほとんどドライバーとサンドウェッジだけ、それだけチャンスを作ってバーディを獲りまくったという意味だ。一方で細やかさにも驚かされた。クラブハウスから遠く離れたホールで見たプレーのことを聞くと「ああ、オマエはあの時グリーン脇にいたな」。大ギャラリーの中に、大した面識もない筆者を見つけて覚えてくれていた。

通算100勝を飾る3カ月前、タイガー・ウッズがプロ転向した。ウッズは翌1997年4月の「マスターズ」で後続に12打差をつけ、21歳3カ月の大会史上最年少優勝を遂げる。直後の大会で話を聞きに行くと「これからは打倒タイガー・ウッズだな」と言い放った。当時シニア世代の50歳になったばかりで、その後にレギュラーツアーで11勝。いくら時代が違うとはいえ、こんなすごいゴルファーはもう絶対に出てこないと思う。(編集部・加藤裕一)