<悼む>男子ゴルフでツアー最多94勝を誇り「ジャンボ」の愛称を持つプロゴルファーの尾崎将司さんが23日午後3時21分、S…
<悼む>
男子ゴルフでツアー最多94勝を誇り「ジャンボ」の愛称を持つプロゴルファーの尾崎将司さんが23日午後3時21分、S状結腸がん(ステージ4)のため78歳で死去した。24日、長男の智春さんの名前で発表された。
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ジャンボさんの元で研修生をし、キャディーをしてツアー優勝もしたことがある、大阪の友人に会うたびに、ジャンボさんの近況を聞いていた。なぜか、心配でならなかった。ここ数カ月、その友人と会えずにいると、突然の訃報(ふほう)が…。衝撃的だった。
表舞台に立たなくなったが、後進を育てる姿を頼もしく見ていた。陰にいてもジャンボさんは光り輝いていたのに。
思い出は多い。大スターなのに、こちらの質問ははぐらかさないし、目をみて答えてくれた。これが、超一流の証しなのだろう。ウエアの思い出がある。
AON全盛時代の1980年代の中日クラウンズの話だ。その頃、クラウンズは端午の節句の頃に行われていた。派手なハンチングに派手なスラックスのいで立ちでトップに立ったジャンボさん。「いやあ。スコアもズボンも鯉のぼりですね」と言ったら「イイネ」とにっこりしてくれた。これで、20歳代の若僧記者は有頂天になった。
時は過ぎて、2013年春。66歳のジャンボさんがつるやオープン初日で62のエージシュートを達成した。この瞬間、鳥肌が立つとはこういうことを言うのだと思った。2日目に少しスコアを落とし、3日目だ。なんと、最終日にまとう紫系の勝負服を着ていた。
3日目が終了して、それを告げると「いい質問だ。テレビに映るのは今日しかないから、朝決めたんだ」。60代もおっさん記者はまたぞろ、有頂天になった。
とにかく、いやな思い出はひとつもない。思い出話というと、亡くなった稲尾さんが、西鉄ライオンズ時代の話を聞かせてくれた。オフにジャンボさんを連れて、大分の別府GCに自主トレにいったそうだ。1ラウンド目はキャディーをさせ、あとのハーフはジャンボさんにもクラブを持たせた。すると、ウエッジで柔らかいボールをいとも簡単に打ってみせた。稲尾さんは「こりゃあ、野球よりゴルフだわ」と思ったそうだ。
打撃コーチだった花井悠さん(故人)は、ジャンボさんのバットケースにはバットではなく、7番アイアンが入っていたという。「俺が、バッティングをうまく教えなかったから、今があるんやで」と花井さんはよく言っていた。
ジャンボジェットが就航したころ、華やかにゴルフ界に登場したジャンボさん。ゴルフを大衆スポーツに押し上げた大功労者だ。
ジャンボさんが逝った23日は、上皇さまの誕生日だった。ゴルフ界の天皇が旅立った因縁を思わずにはいられない。
長嶋さんが逝き、ジャンボさんも。昭和のスポーツを語る人々がいなくなることが、たまらなく寂しい。
【町野直人】(元ゴルフ担当)