【第21回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」白いパンツがトレードマークだった寺西勇 大相撲からプロレスへの転向だったものの、パワー一辺倒ではない。玄人好みのテクニシャンとして、東京プロレスや国際プロレスをはじめ、新日本プロレス…
【第21回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
白いパンツがトレードマークだった寺西勇
大相撲からプロレスへの転向だったものの、パワー一辺倒ではない。玄人好みのテクニシャンとして、東京プロレスや国際プロレスをはじめ、新日本プロレス、ジャパンプロレス、そして最後は全日本プロレスで活躍した寺西勇。マイティ井上やタイガーマスクなどと熱戦を繰り広げ、多くのプロレスファンを魅了した。国際プロレス崩壊後も「国際軍団」「維新軍」でともに戦い、アジアタッグ王座に輝いたアニマル浜口が、寺西勇のいぶし銀の味を熱く語る。
「国際プロレスとはなんだ?」前回コラムはこちら>>>
連載第1回目から読む>>>
和製カーペンティア・寺西勇(1)
1973年3月16日、東京・町田市体育館にて国際プロレスが誇る技巧派同士が激突した。
45分3本勝負--。マットに上がったのは、2年以上にわたる海外遠征から前年10月に帰国し、メインイベンターへの階段を一気に駆け上がっていたマイティ井上。対するは、井上がヨーロッパに渡る前は一度も負けたことがなく、追い抜かれまいと先輩の意地を見せる寺西勇。
両雄の1度目の対決は2月10日、全日本プロレス新宿大会で20分時間切れの引き分けに終わる。さらに3月8日の国際プロレス長野大会で、またしても30分時間切れで引き分けと勝負はつかず。上記の45分3本勝負は、決着を望む井上と寺西が吉原功(よしはら・いさお)社長に直訴し、実現した対戦だった。
1本目は寺西が34分52秒、片エビ固めを極(き)めて先制する。だが、2本目は井上が得意のストマック・ブロックを連発し、フィニッシュはお返しとばかりに片エビ固めで3分22秒で奪取。そして、タイとなった勝負の3本目は、両者譲らずに時間切れとなった。
すると、テレビ中継の解説のために放送席にいた吉原社長に、井上と寺西が必死に延長を訴える。結果、10分間の延長戦が行なわれたが、またしても時間切れ引き分け。さらに10分間の延長戦が行なわれることとなった。
そして最後は、寺西が回転エビ固めを極めたかと思われた。しかし井上が切り返し、7分7秒に寺西から3カウントをもぎ取り勝利。大接戦はこうして幕が下ろされた。
62分間に及ぶ壮絶な戦いを終えた井上と寺西は、手を取り合って両腕を上げる。互いに称え合う姿に場内からは大歓声が送られ、いつまでも拍手は鳴りやまなかった。今もプロレスファンの間で語り継がれている名勝負だ。
当時、アメリカ遠征中だったアニマル浜口は、この一戦を観戦していない。だが、後にビデオで観て、「感動した」と言う。
「タイトルマッチでもなく、ワールドシリーズでもなく、いつもの興行のセミファイナルでしたが、プロレス史に刻まれる一戦でしたね。井上さんの鮮やかなフライング・ヘッドシザーズが飛び出したかと思えば、寺西さんも迫力満点のコブラツイストを極めて。僕は観ていて、身震いしていました。これぞ、まさに『プロレスの教本』。どの団体のレスラーが観ても唸(うな)るでしょうし、どこに出しても恥ずかしくない激戦でした。
井上さんも寺西さんも、アニマル浜口の先生です。マイティ井上さんについては前にお話しさせていただきましたが、おふたりはまったく違うタイプでしたね。寺西勇さんからも実に多くのことを学ばせていただきました。間合いとか、プロレスの流れとか、寺西さんは天下一品でしたから。プロレスというのは手ほどきされるものではなく、リングサイドから観て盗むもの。さらに試合をして身体で覚える。そうやって寺西さんにはずいぶんと教えてもらいました」
寺西勇は大相撲・立浪(たつなみ)部屋の力士として、本名「寺西」の四股名で1963年5月場所にて初土俵を踏んだ。しかし、1966年の5月場所を最後に廃業し、東京プロレスへと入門。同年10月21日に行なわれた団体旗揚げ戦で、元大相撲力士であり、プロ野球「トンボユニオンズ」出身でもある異色レスラーの竹下岩夫(本名・竹下民夫)を相手にデビュー戦を飾った。そして団体崩壊後、国際プロレスに移籍を果たす。
「たしか2016年11月に亡くなられた永源遥(えいげん・はるか)さんも同じ立浪部屋で、寺西さんと一緒に東京プロレスに入門されたんですよね。大相撲出身ですから、身体は頑丈だし、パワーもすごかったですけど、ラッシャー木村さんとは違っていました。
身長は僕と同じ175cmと小柄でしたから、動きが速く、テクニシャン。『和製エドワード・カーペンティア』と呼ばれていましたね。カーペンティアというのはフランス出身のレスラーで、サマーソルト・キックやサマーソルト・ドロップを生み出し、当時世界最高の技の持ち主でした。『元祖アクロバット・プロレス』なんて言われていたレスラーです。
寺西勇というレスラーもまさに”技の宝庫”で、とにかくキレがいい。憧れましたけど、僕が一番衝撃的だったのは受け身のうまさです。きれいでしたね。とてもじゃないけど、僕にはマネできない。デカい外国人レスラーに放り投げられても、フワ~ッと跳んで、ストンと落ちて立つ。受け身がうまいから、返し技や合わせ技がすばらしいんですよ。ショルダースルーなど食らっても、サッと立ってすぐに攻撃に転じていましたから。
寺西さんの受け身のうまさは、間違いなくトップクラス。他に挙げるとしたら、高千穂明久(本名・米良明久)さん--ザ・グレート・カブキですね。それと、今も現役で活躍しているヒロ斎藤選手。この3人が受け身のうまいプロレスラーベスト3だと僕は思っています。
そして真っ白なショートタイツと、真っ白なリングシューズ。白装束というんですかね。それをずっと貫いて、カッコよかったですよ。テクニックのあるプロレスラーが好きなファンは、井上派と寺西派に分かれて盛り上がっていましたよ」
(つづく)
【連載】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
連載第1回から読む>>>