ガスリーにとってもレッドブルのセカンドドライバー時の経験は苦いものだったようだ(C)Getty Images F1レッド…

ガスリーにとってもレッドブルのセカンドドライバー時の経験は苦いものだったようだ(C)Getty Images

 F1レッドブルは2016年から10シーズンに渡ってマックス・フェルスタッペンがステアリングを握り、数々のタイトルをもたらしてきた。その一方、セカンドドライバーが不振に陥るケースも少なくない。今季はリアム・ローソンが開幕からパフォーマンスを発揮できず、2レース終了後、角田裕毅と交代。その角田も成績が伸び悩み、来季ではリザーブドライバーの役回りを担うこととなった。

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 また、7年前の2019年でも、シーズン途中でセカンドドライバー交代が行われている。その当事者の1人が現アルピーヌのピエール・ガスリーだ。前年の2018年にトロ・ロッソ(現レーシングブルズ)でF1キャリアを本格的にスタートさせ、翌年からレッドブルへとステップアップを果たした。だが、2019年シーズンでは第12戦イタリアGPを最後に、成績不振によりレッドブルのシートを失う結果となった。

 英メディア『PLANET F1』は現地時間12月21日の記事内で、ガスリーがレッドブル在籍時の様子を振り返ったコメントを掲載した。レッドブルドライバーとして、フェルスタッペンとコンビを組むことへの難しさを語っている。

 ガスリーは当時の心境を、「正直、悲しかった」と述べており、チーム内の状況を以下のように話している。

「F1参戦2年目の2019年、大きなチームにいながら、どこからもサポートが無かった。チームは明らかにマックスを中心に回っていた」

 また、結果を出していたフェルスタッペンをスタッフが優先した点については理解を示しながらも、ガスリーは、「でも僕は、F1経験のないフォーミュラE出身の新しいエンジニアと組むことになった。かなり奇妙な関係性だった。実力を発揮するための環境は、本当に与えられていなかった」と回想する。

 さらに、「それでも自分の力で戦おうとした。僕は走るため、結果を出すためにそこにいたからだ。チームが僕の結果を十分とは見ていなかったのは明らかだったが、僕も不満を抱いていた。自分のポテンシャルを示せない状況だと分かっていたからだ」として、レッドブル時代の苦悩を明かしている。

 その後、ガスリーは再びトロ・ロッソをドライブし、アルファ・タウリも含め、2022年までレッドブル姉妹チームでグランプリ出場を果たす。しかし、トップチーム返り咲きの機会は与えられず、2023年からはアルピーヌに移籍し、現在までF1キャリアを継続している。デビュー以前にはリザーブドライバーも務めたレッドブルだったが、エースと組んだセカンドシートの記憶では、苦い思い出しか残っていないようだ。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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