Jリーグ屈指の名門である鹿島アントラーズのユースチームが、3冠を達成した。偉業であることは間違いない。だが、サッカージ…
Jリーグ屈指の名門である鹿島アントラーズのユースチームが、3冠を達成した。偉業であることは間違いない。だが、サッカージャーナリスト後藤健生の目には、まだ成長の余地があると映っている。
■見事な3冠達成
U-18プレミアリーグ・ファイナルで、プレミアリーグEAST王者の鹿島アントラーズ・ユースがPK戦の末に同WESTのヴィッセル神戸U-18を破って優勝。日本クラブユース選手権、Jユース選手権と合わせて、この年代のすべてのタイトルを独占する「3冠」を達成した。
鹿島が、2025年のユース年代の日本最強チームだったことは間違いない。
12月21日に埼玉スタジアム2002で行われた決勝戦も、スコア的には1対1の引き分けに終わったものの、延長戦を含む110分間(延長戦は20分)のほとんどの時間帯で優位に立っており、公式記録によればシュート数は神戸の5本に対して、鹿島は17本を記録している。
前半37分の鹿島の先制ゴールは、右サイドでこぼれ球を拾った吉田湊海が中央に持ち込みながら、左サイドのスペースにパスを送り、走り込んだ平島大悟が切り返して相手DFを振り切ってから豪快にファーサイドのネットを揺らす見事なものだった。
吉田も平島も、ともに11月にカタールで行われたU-17ワールドカップで日本代表として活躍したアタッカーである(CBの元砂晏翔仁ウデンバもU-17日本代表)。
■鹿島のFWに求められる仕事
今シーズン、J1リーグで9年ぶりの優勝を果たした鹿島アントラーズ。育成部門でも、多くの代表クラスの選手を育てており、最も成功を収めているクラブのひとつである。とくに、多くの優れたFWを送り出しているのは特筆に値する。
たとえば、柳沢敦コーチが育てたユース出身の徳田誉は、すでにトップチームの一員として地位を確立。2027年にウズベキスタン・アゼルバイジャンの共同開催として行われるU-20ワールドカップを目指して立ち上げられたばかりのU-18日本代表にも選出され、SBSカップで活躍した(徳田がU-18代表に選出された報道を見て、むしろ「ああ、徳田はまだ18歳だったんだ」と驚いたくらいだ)。
その徳田に続いて、吉田や平島といった攻撃的プレーヤーを輩出しており、さらに下の世代にも高木瑛人という逸材もいる(U-16日本代表)。これほど多くの、いかにもFWというタイプのアタッカーを育てているのは素晴らしいことだ。
鹿島という勝負に徹する哲学を持ったクラブだけに、アタッカーと言えども守備面での仕事も強く求められる。
実際、神戸とのファイナルで両チームを分けた最大の差は、鹿島の前線からの守備だった。相手にボールを奪われた瞬間の切り替え(いわゆるネガティブ・トランジション)では、神戸もハイレベルだが、鹿島はその切り替えの早さで神戸を大きく上回っていた。
そして、FWがファーストディフェンダーとなってプレッシャーをかけ、相手にかわされたとしても、鹿島の選手はけっして足を止めることなく2度追い、3度追いを繰り返す。
こうして、鹿島はゲームを完全にコントロールした。
それでも、1点を追う神戸は後半に入ってからパスがつながるようになり、チャンスをつくり始める。そして、神戸のパス回しに対して後手を踏むようになった鹿島は中盤でのファウルが多くなり、57分にはFKからDFの原蒼汰がヘディングシュートを決めて神戸は同点に追いつくことに成功した。
■トップチームにつながるタフさ
鹿島のように前線からプレッシャーをかけ続けるのは、フィジカル的に負担が大きいのは当然だ。従って、前半から飛ばした分だけ後半に入って苦しくなったのかとも思えた。とすれば、時間が経過すれば試合は神戸側に傾いていくのか……。
しかし、鹿島は後半の最後の時間帯から再び盛り返すことに成功した。そして、延長に入ってからの20分間は、前半と同様に、あるいは前半以上に一方的に神戸の攻撃を抑え込んで、攻撃の圧力を強めていった。
公式記録には神戸のシュートが5本となっていたが、その5本はすべて後半の45分間に記録されたもので、前半の45分間および延長前後半の20分間はシュートがゼロに抑え込まれていた。
しかも、鹿島は110分の試合で交代カードを2枚しか使っていない。両サイドハーフの2人(左の平島、右の中川天蒼)が交代しただけで、最前線でプレッシャーをかけ続けたトップの高木輝人や吉田は110分出ずっぱりで足を止めなかった(吉田はさらにPK戦でも1人目のキッカーとしてキックを成功させた)。
まさに、鹿島のフィロソフィーを体現したようなタフなチームだったと言っていいだろう。